物語ることは、「つなぐ」こと───室生犀星『かげろうの日記遺文』

こんにちは。

 

唐突ですが、六本木、と聞くとどのようなイメージを抱かれるでしょうか。

「ギラギラ」「チャラそう」「派手で怖い人たちが多い」というバブリーな印象や、

文化施設が沢山ある」「お洒落なショップがある」というザ・都会な印象を抱かれる方が多いかと思います。

 

つい先日、ふとしたきっかけでこの街の歴史を知りまして。

今でこそ上記のような華やかで現代的なイメージがありますが、

実は江戸時代には武家屋敷が広がっていたり、毛利庭園で知られる毛利甲斐守邸では、

かの忠臣蔵赤穂浪士の面々が切腹を果たしたりという歴史があります。

 

他にも軍隊の要地となっていたり、戦争を挟んで麻布区から港区への編成があったりと、意外とその歴史は深く、生意気ながらちょっと見方が変わってしまいました。

 

「確かに、ちょっと前のようなギラついた感じも無くなった気がするし、何となく根幹は落ち着いた街っぽいもんなあ」なんて都合のいいことをすぐ思っちゃうほどには見方が変わりました。

実に調子がいいですね。

 

で、世の中には知れば面白いのに、時代の地層に埋もれていき、

そのままゆっくりと溶けていってしまうものが沢山あるんだなあなんてことを思い、

少しの寂しさを感じつつ、知ることのできた喜びを憶えた次第であります。

 

いずれにせよ、知る前と後では、見える世界が変わるのは間違いないです。

 

「つなぐ」こと。野暮な事を申し上げますが、本当に本当に大切なことです。

誰か・何かが「そこにあった事・いた事」「そこでした事」を何ものかが継承しなければ、歴史文献の一行どころか、ひとの記憶にも残りません。

 

何を言ってやがる、そんな風化されるような軽いもんは残さなくていいじゃねえか、なんてことをお思いの方もいらっしゃるでしょうけれど、私はそうは思いません。

その存在を知ることで、時代を超えて現在の誰かにとって毎日の切実な糧となったり、救いとなったりと、必ずいつの時代にも必要とされるひとやもの。

 

それらは決して軽いものではないですし、何ものもが大事だと大真面目に思ってます。

 

けれども、情報が氾濫している現代だと、いとも簡単に忘れられてしまうでしょう。

情報一つの価値が定量的に軽んじられているきらいもありますし、そもそもそんな重いこと何言ってんだお前きっしょいわ、みたいな空気もそこはかとなく感じます。

 

ですから、「つなぐ」ことは、切実な想いでもって取り掛からないと、至らないなとも思います。

 

さて、のっけから暑苦しい事を申し上げて恐縮ですが、

今回は、そんな「つなぐ」ことを書いた作品について記します。

室生犀星の『かげろうの日記遺文』(講談社文芸文庫)です。

(初版 第4刷。以下、便宜上『かげろう』と表記します)

 

室生犀星は個人的にとても思い入れのある作家なのですが、

お恥ずかしいことに本作は今頃になって読みました。

 

そして、驚嘆しました。

犀星印の美文はもとより、文学に対するあまりに本質的な魅力があったからです。

 

「書く」こと、「物語る」ことそして、それらが「つなぐこと」であること。

「つなぐこと」で過去を知り、現在を通過し、未来の血や骨と成す。

 

この一見、当たり前だと思われることの深奥を作中人物が作中で「書き」示し、

かつその人物を犀星自身が「書く」ことで示しているのです。

 

さて、抽象的になってきたので、これから掘り下げようと思います。

 

 

・『蜻蛉日記』という過去

本作はタイトルの通り、『蜻蛉日記』がベースになっています。

作者は藤原道綱母です。平安を代表する日記文学として有名ですね。

 

日記文学と言ってもエッセイというより、著者の告白や思想を反映した記述が多いため、自伝という風に捉えられるそうです。

(お恥ずかしながら、『蜻蛉日記』はこれを書いている時点でようやく読み始めたので、とりあえず紹介されている文句を受け売っています。あるまじき愚行です、猛省……!)

 

基本的に著者(藤原道綱の母)が、夫である藤原兼家への愛憎を書き連ねているのですが、何と言っても時は平安、地位がある野郎どもはおしなべてプレイボーイです。

特にこの兼家は愛する女性が出産をしたら、すぐに他の女性の元へ行くという、現代で考えると下衆の極みとしか思えない行動力を発揮していたようです。

 

ちなみに、その辺りの行動は『かげろう』にも書かれていますが、もちろん犀星の魔術により葛藤という素敵な逃げ道を与えられています。

なので、ただ単純な下衆野郎としては書かれていないです。と、フォローします。念のため。

あと、時代によって結婚観も違うしね。念のため。

 

で、道綱母も例外でなく、子・道綱を出産すると、すぐに兼家は家を飛び出します。

いくら時代が他の女性との関係を容認していようと、やはり傷付きますし、悲しみます。

才女と呼ばれた道綱母も人の子ですから、クールに装っても悲しみの先には想いの分だけ、憎しみも生じます。

それで、夫のプレイボーイ兼家がなかなかうちへ帰らぬことを日記の中で嘆きます。

 

また、彼の愛する他の女性に対しても矛先を向けており、

何の地位もない町の小路の女性についても容赦なく記述しています。

 

そんな『蜻蛉日記』では数行ほどしか記されていない町の小路の女が、

『かげろう』ではメインの人物となりスポットを当てられています。

 

そう、彼女らの織りなす「過去」の奥行きには、陽の目の当たらないひとの存在が確実に存在しているのです。

それを犀星は掘り上げて、「物語る」ことを始めました。

 

 

・「書く」ことで自己を自己たらしめる

 

本作には、以下の人物が主に登場します。

・紫苑の上…主人公の一人。美貌のみならず、文才や教養にも恵まれるが、男性をあまりよく分かっていない。『蜻蛉日記』の藤原道綱母にあたる人物。

・冴野…主人公の一人。美貌に溢れながら、世の中や人というものに通じている。教養はあまりない。『蜻蛉日記』の町の小路の女にあたる。

・兼家…藤原兼家。基本的に冴野にまっしぐらだが、複数の女性を行き来するプレイボーイ野郎。なお、地位的には割と偉いひと。

・時姫…兼家の正妻。兼家を巡る嫉妬や憎悪を露骨に表す描写が多い。登場回数は少ない。

 

ざっくりとした筋は、以下のようなものです。

 

才色兼備な紫苑の上が、兼家と一緒になるが、

息子・道綱を生んだ途端に兼家が町の小路の邸に通うようになり、その女性へ嫉妬に近い感情を抱くようになる。

また、そこで初めて自分が知らないもの=男性のことや人と人の対峙から生じる揺らぎ を覚える。

一方で、兼家は冴野という町の小路の女の元に通い続ける内に、彼女を通じて正直にものを言うということの魅力を知るようになる。

そんな逢瀬が続き、紫苑の上は初めに見せなかった焦りや諦めを呈するようになる中、冴野と兼家の子の亡骸を抱いた冴野の突然の訪問を受ける。

そこで、冴野は図らずも紫苑の上に多大な影響を与えつつ、兼家からの訪問を変わらず受けていたが、突如、時姫から去るよう命じられる。

身を引くことをやむなく選び、冴野は何処かへ姿をくらましてしまう。

このことにすっかり消沈した兼家だったが、紫苑の上との生活に徐々に平和に価値を見出していた。

しかし、最後に冴野が兼家夫妻の前に姿を現わす。まさに青天の霹靂であった。

超然としていた冴野が、未だかつて見たことのない主張、つまり私を選んでくれという主張を紫苑の上と繰り広げる修羅場を展開する。

そこで選択を迫られた兼家は自らが去ることを選ぶ。彼を見つめる二人の女性。

と、その刹那、兼家は目を覚まし、側にいる紫苑の上を確認する。

彼が見たもの、いや、読者が見たものは「かげろう」だったのだろうか。

 

という。

筋だけ追うと、どんだけドロドロしてんのよってなりますが、登場人物の織りなす人間模様、特に冴野を通じた紫苑の上の変化こそ、この作品の本意なのではないかと思えてなりません。

 

紫苑の上は、本作序盤より、自己の輪郭を明確にすることに苦心していました。

そして、輪郭を削る手段として「書く」ことを早い段階から選択していました。

18歳の彼女の、書くことに対する想いが以下のように記されています。

 

  書くということは心のままになることであり、書かれたことに対うことの親しさは、自分という者のありかを確かりと掴まえられる気になることであった。(中略)書くということの嬉しさの果に紫苑は生きる自分を見ることに、疑いを持たなくなった。彼女は自分にいい聞かせてみた。何でもない事共でも書き溜めて、昨日がなにの為にあったか。明日はまた何のよすがで訪ずれるかを、薄葉のうえに述べてみたかった。薄葉はおちついて落筆を待ち、落筆は昨日よりも多くを尋ねるのである。物を書こうとする私よ、いままで何処かにかくれていてふいに私に溜ったものを、すくい上げようとして来てくれたあたらしい私、私はそなたを托み、そなたは私をかい抱いてくれるようにと、紫苑は自分を掴んだ。(P.11)

 

この書くことにより自己を解剖し、探求してゆく底には、「一さい生きることの目標をはっきり見定めたい気持のいら立たしさ(P.10)」がありました。

 

日常にて感じたこと、兼家を通じて感じたこと、自身の心象風景を書くことで表し、自己と世の中の距離を測っていたとも換言できるでしょう。

 

そんなこんなで書き書きしてゆく中、

兼家との間に子供・道綱が誕生します。

やったね! たまごクラブ・ひよこクラブ買っちゃおうぜ! と本来ならば幸せに溢れる新婚生活が待っているかのように思われますが、怜悧な紫苑の上は素直に喜べませんでした。

 

 赤ん坊を見ていると、それの生れて来たことが恐ろしかった。人間のなかの女というものがこれを繰り返して、最初のふしぎな思いがしだいに普通のことがらになる、誰もみな女が子供をそだてることに不思議は感じていない、紫苑の上もまたそのように、ありきたりの思いになるのだろうと思うた。そこにもはや悩みやらあがきはなかった。何という変り方であろう、私はもうただの女に引き据えられ、それは女というお乞食さんと同じみじめさであった。(P.44)

 

つまり、一時の幸福も日常に擦れてゆき、それはただの女であることの永遠だ、と達観とも思える境地に達してしまっているのです。

ちなみに、この時19歳くらいです。いや、すげえなおい。

 

この出産は彼女にとって上記のような大きな気付きを与えながら、「書く」ことへの想いを強めていきます。

 

 ただ、その生きる毎日を克明に記すことによって、女というものの位を知らねばならぬ、書くことの外にいまの私に位はない筈である。紫苑の上は一日ずつを細かに書くことだけは、怠らずにつとめた。

 虫の音の事、夫という名をもつ男の事、奥羽下りの父倫寧はどうしていられるだろうという事、歌の事、文の事、母として生きる事、……(P.44-45)

 

 

そんな紫苑の上を横目に、兼家は子が出来てから、ほかの女性の元へ通うようになってしまいます。

 

紫苑の上は、兼家が冴野に送っているラブレターを見つけてしまうのです。あちゃー。

さすがにクール女子である紫苑の上も動揺します。当たり前です。

 

 紫苑の上は手も指も顫え、息はみだれて来た、時姫様があられた上、私という女がいるのに、また、別の一人の女が現れて来たのである。三つの黒髪がそれぞれ嶮しく聳えて見え、その真中にいる私という黒髪のつやは、道綱が生れてから、つやを失うて来たのか、紫苑の上は併し認める文だけには、自分を失わずにつとめた。(P.45)

 

ここでも、「書く」ことには態度を変えないよう努めています。

この辺りから兼家が家を空ける日が続いてゆき、あえて兼家を「賑やかに見やった」り、侍女を彼に尾けさせたりしてゆき、さみしい日を送るようになります。

 

 ここまで来ると何の修正も、むだな気がし、そして趁い詰められている処は、世上にありふれた妬みと悩みしかなかった。しかも、これら二つのものを上品振って上から見下ろしている訳にも行かないとしたら、その渦の中に捲きこまれて居なければならぬ。私はいまこの中にいるのだ。不倖というものは私を避けて通ることを、遠い幼ない日にそう信じてみたものだが、それは全く酷いくいちがいをいまの私に与えた。(P.47-48)

 

もうはっきりと、不倖だ、とぶちまけています。

兼家め、あんた罪なやつだぜマジで。

 

 

・孤独を抱きしめた女性、冴野

 

兼家はこうして冴野の魅力から抗えなくなり、紫苑の上どころか、正妻・時姫の元にもあまり寄り付かなくなりました。

珍しく時姫の元に戻れば、すぐに冴野の話。

 

 兼家は決して素性の悪い女どころか、女という自分自身をあの位確かりと考え込んでいる人を、私はいままでに見たことがないと言い、貧しさという事がどんなに厳しく人間を作り変えているかが、よく解るといい、彼女のいままでに生きて覚えたことが、一々意味ふかく平常の動作にあらわれているとも言った。紫苑の上や時姫にない人間としての値さえ、別様に私は考えていると兼家は物語った。(P.74)

 

いや、これもスゴイ話だなと思います。

よく面と向かって、妻に向かって他の女性の話を悪びれずに言えるの、という。

もはや兼家って天然なのではと疑いたくなるほどです。

けれども、冴野はそう自ずと口にしたくなってしまう程の人物だったのでしょう。 

 

物語が急展開するのは、その冴野の持つ凄味が兼家の前だけではなく、

紫苑の上の前にも開かれる場面からです。

第六章が始まっていきなり、冴野と兼家の間の子が死産したことが明かされます。

 

紫苑の上はその事を、使いの者からの便りで知り、「顔色は変わった。」

「単なる冴野の子供であるよりも、もっと大きく漠然とした人間それみずからの死の驚き(P.91)」を覚えつつ、「悲しみとは反対に、次の瞬間では何処かでかたがついた、生きられてたまるものかというちいさい叫び声があがった。(P.91)」 

 

先程、子・道綱を生んだときの紫苑の上の様子を達観という形容で表しましたが、

やはり、嫉妬を覚えているのです。人間ですからね。

怜悧な紫苑の上ですけれど、彼女の未熟な部分がここで如実に現出しているのです。

 

そんな彼女の前にふわりと冴野は現れます。

しかも、我が子の亡骸を抱きながら。

 

兼家に相手のされない紫苑の上や時姫には死産した子がいない。

かたや、兼家を虜にしている冴野の子は死産。

冴野はこうした皮肉な運命を引き受けながら、兼家に愛される事から逃げる事で、

むしろ自分を含めた女性三人が不幸せに落ちるだろうから、受けるものは受けさせて欲しい、そして、その事をどうか心に止めて欲しい、と毅然として紫苑の上に言い放ちます。

 

冴野のあまりの率直さに紫苑の上は以下のように衝撃を受けていました。

 

 冴野の大胆な言い分には、少しも嘘がない誠実があった。そしてこういう立派な真正面から物をいう女と話したことが、今までに一度もなかったのだ。女というものがこんなにも怖れずに立つということが、紫苑の上のどこかを握り締め、そのため、すぐに言葉を毟ぎ取られて了った気がしたのだ。(P.94)

 

冴野は、どんな時・状況でも必ず別れが在るということを見据えている女性でもありました。

また、必然的な別離というものをしみったれた思いではなく、元々生まれつき備わっていたかのように自然と考えていました。

以下は、紫苑の上から兼家と別れる気があるかと問われたときの冴野の返事です。

 

 「(略)逢うことはお別れすることの初めであり、お別れするためにお逢い申し上げていたようなものでございます。僅かな時間のあいだにもお別れしなければならないことを、始終考えてまいりました。」(P.95)

 

冴野のこの超然とした人格に、紫苑の上は自分にないものを感じ取ります。

凛とした諦念、相手の立場などを度外視した率直さ(かと言って、横柄というわけではもちろんなく)、あざとく物事の裏に潜む利益を望むという不潔さを排する純真さ。

これらに紫苑の上も心を動かされ、「本当のことを言うこと」の強度を覚え始めます。

 

「(略)私にはこのごろ裸の女のはげしさがあるばかりなんです。」(P.96)

 

「それは身分のある女の口にすべき言葉ではないのですが、あなたとお話しているとこういう恐ろしい言葉が、平気でいえるようになるのです。あなたは私の学んだものを一枚ずつ剥いでいらっしゃる……それは、あなたは本当のことを仰有っていらっしゃるからです。」(P.96)

 

本音を言うこと。

これは決してズバズバと相手を傷つけることを言うというわけではありません。

自分はこう思っている、ということを偽りのない気持ちで相手に伝えることです。

至極当然ですけれど、本音を言わないと最後のところで人間は分かり合えないのではないでしょうか。

 

紫苑の上は、冴野の存在を意識するうちに「裸の女」になっていったのです。

 

では、冴野はなぜそんなに本音を言うことに躊躇いがないのか。

なぜ、本音を言う姿に驕りを感じさせないのか。

それは、彼女が自分を徹底的に知っていることに起因しているのではないでしょうか。

以下は、冴野から紫苑の上へ語られた言葉です。

 

「(略)名もない女はしまいには退がらなければなりませんし、嫉妬めいたことも控えがちにしなければ、殿にお縋りすることも出来ようはございません。それに、わたくしはもう若くはございません、ただ、哀しいことには女のからだをそなえて居ります。女が女のからだを持っているということにお考え及んだことが、紫苑の上様、あなた様にございましたか。」(P.97)

 

ここまで自己を透徹して俯瞰できるのは、あまりに彼女が孤独だからなのでしょう。

欲することを許されない立場・状況。また、それを理解して貰える人の不在。

この孤独さが彼女を客体として彼女自身を見つめさせているのだと思います。

 

孤独を抱きしめた女性、冴野を紫苑の上をしてこう表しています。

 

「(略)平安の世の奢りをみんな捨てて生きておられるお方。」(P.105)

 

 

・「裸に」なること=筆に清水を流すこと

 

さて、ここまで作中人物のやり取りから人間像を見てきましたが、

この項では彼らが発する「物語ることのメタ・メッセージ」を見ていこうと思います。

 

どういうことかと言うと、作中人物自身が、自分たちが「物語られる存在である」ことを認識しており、それを作者・犀星の手を通じて読者へ「物語る」ことの本意を伝えようとしているのでは? という少し強引な提起を見ていこうぜということです。はい。

 

ますます何言ってんのこいつってなってきそうなので、早速引用。

兼家に取る態度を紫苑の上に伝えてから初めて兼家と会ったときの冴野と、兼家との会話です。

 

「だが、そなたが紫苑の上に教えにくい事をおしえたということに、私はきつく驚いている。あの女は父倫寧の外には、誰のいうことにもおしえられはしなかった。」

「殿からも。」

「私は一介の男という生き物にすぎないが、紫苑の上は生きた日の数を記すことで、もう一編生きかえっている女なのですよ、兼家の恐れも、そこにある。」

「殿も、お書きになったらいかがでしょうか。」

「私に本物の歌をよませたら、そなたばかりを詠んでうたうだろう、私はそれをも恐れているのだ、そなたが私の中に滅びてもよいというが、私の多くの歌も、そなたの中に滅びて消えているようなものだ。」

「ふたりのなかはお互に消えこんでいますね。」

「名もない二人の情事は記されることもなく、失くなってもいいではないか。」(P.116)

 

いや、ガッツリ記されとるやないかーい! と言いたくなりますが、

まさにこのラストの兼家の発言こそメタ・メッセージです。

厳密に言うと、「生きた日の数を記すことで、もう一編生きかえっている」紫苑の上の取る行動こそ、「書く」ことで自分を客観視し、日常を息吹を与えて物語り、後世へ「つなぐ」ことと言えましょう。

 

いずれにせよ、ここで着眼したいのが、

本来、書かれるべきでない、いや、書き漏れていた出来事(事実でなくても)を空想し、物語ることで、その時代の空間に捨てられた人や言葉に可能性を与えることが、書き物という世界では可能である、ということなのです。

 

室生犀星は詩歌や小説で扱う言葉の壮麗さはもとより、創作という行為そのものに巧みに仕掛けてゆく技巧をも持ち合わせていたことが分かります。

おそらく、犀星がものを書くということのある種の畏怖を感じていただろうことを、兼家の口を通じて発見することができます。

 

「文学という奴は大した奴だ、これほどの私は紫苑の上の考える仕事を壊そうとしても、到底、壊しきれる物ではない、紫苑の上自身が抹殺しないかぎり、数々の和歌はもはや人間のちからでは削除することの出来ない、言わばすでに天上の物でさえある。私はこのような女と暮らすことに不倖を感じている、物を書く人の恐ろしさ、そんな不必要な恐ろしい物を抱いていて、人間に憩らいがあると思うか、(略)」(P.159)

 

ここで書かれたことは、自分の行いが他者によって記されることの恐怖、あるいは、その他者が見つめた世界を物語られる恐怖、といった世俗的な恐れではなく、

もはや、人知の及ばない何ものかが筆を持たせ、作品を遺すという行為そのものに対する畏敬なのではないかと思えてなりません。

ありきたりな言い方になってしまいますが、芸術讃美のようでしょう。 

 

それと同時に、物を書くことの方向性を誤ると、惨めさを残してしまうのみ、という真理を紫苑の上を通じて伝えてきます。

場面は物語終盤。この町を去る直前に冴野が紫苑の上に物品を返却すると同時に封じた手紙を、紫苑の上が読むシーン。

 

ただものではなかった女が終りに見せた心の美しさに至っては、紫苑の上がこれらの品々にさえ心を留めていたことで、いまさらに羞かしいものがあった。斯様に少しの乱れを見せない一人のなまの女の心と、そして私自身が叡智や歌や文を練って何人にも怖れないとしていたことが、冴野の前ではみじめに粉砕されているではないか、紫苑の上はついにひとりで呟やいて言った。(P.161) 

 

紫苑の上は、自分を不動・堅牢にしていたと思っていた教養や文才は、「裸の」人間に前では何の盾にもならなかったことに気付きます。

一人の孤独、それはただの人肌恋しさや、プライドに応えてもらえないことへの悔しさから来るものではなく、一切を手放した境地で掴むことのできる徹底した自己認識から来るものなのでしょう。

そして、その境地には「裸に」なることでようやく立つことができましょう。

この清々しさすら感じさせる孤独こそ、先述した人知の及ばない創造のエンジンとなっているようにも思います。

 

覚醒した紫苑の上は、「裸に」なるという、ようやく自分が生きるために必要な核心を見つけることが出来ました。

 

嘗て冴野は殿への愛情をとりいれるために、はだかになれと言ったが、その言葉は単なる裸になるための情痴の世界にばかりある、それだけではなかったのだ、いま紫苑の上自身がなまの女として立ちあがっている、そのはだかを意味しているものだった。(P.163)

 

ただただ「書く」のみならず、虚飾や顕示欲、愛されたいという我欲を放擲した世界で「書く」という新世界を知ったのでしょう。

 

 

・史実からこぼれ落ちた石に、新たな価値・輝きを与えること

 

物語ラスト。

冴野が言動を変貌させたのは紫苑の上だけではありませんでした。

そう、プレイボーイ野郎兼家をも動かしたのです。

 

冴野を失った兼家はすっかり意気消沈していながら、今度はまた違う女性の元へ出かけるようになっており、相変わらずな素敵っぷりを展開して見せてくれていた矢先、

いなくなったと思われる冴野が、現れます。

それも、紫苑の上と寝ているときに。

 

私を取るの、それともあっちを取るの、と地獄絵図のような場面になるクライマックスですが、結果はあっさりとしており、兼家は自分が去る、と決断します。

今まで無頼に女の肉体と精神の拠り所を求め続けていた男が、自らの意思を選んだのです。

 

ここまでの描写で感覚の赴くままに情念に従って行動していたことが目立つ彼に、

このような「見据え」を感じさせる意思を表すことはあまりなかったように思えます。

「裸に」なるという、冴野の通念と、それが触媒となり才気をさらに光らせた紫苑の上の叡智が彼をそうさせたのではないでしょうか。

 

ここまで来ると、ふと思います。

散々ネタキャラのように扱ってしまっていた兼家ですが、実は最も私=読者に近いのが彼なのではないか、と。

 

優柔不断でありながら、自己の世界を遺されることを恐れ、

かつ、芸術の持つ人知の及ばぬ神聖に畏怖を感じる、という。

 

また一方で、犀星によるあとがきを読むと、彼自身が兼家に投影されていたのではないか、とも思えます。

蜻蛉日記』では、わずか数十行でしか生かされていない冴野に犀星が興味を抱いた理由が、兼家が冴野に興味を持ったことと似ているように読み取れるからです。

出自こそ兼家と犀星は丸切り違いますが、一人の「裸の」人間へのあこがれが引きつけたと述べています。

 

恐らく気高いとか傲りとか、学や慧智のかがやきの間に失われているもので、人間にじかに要るものが無邪気に用意されていて、兼家の眼は驚きと喜びとでそれらを迎え入れていたからであろう。素性卑しい女と断じている蜉蝣の日記の筆者のにくしみには、やはり及ばぬなまの女のつやつやしさに、一人で考え耽っている折には所謂かなわぬものを覚えさせたものに思われる。(P.212)

 

この犀星と兼家が冴野に向ける眼差しは、読者にも共有しうるものなのではないかと思えます。

即物的なものに限界があるということ。「裸の」人間の性質にこそ栄光があるということ。

また、冴野へのあこがれ・畏怖は、犀星が過去という広大な道の端っこに転がっていた石を拾い上げ、新たな価値を与えさせました。

 

道綱母の苦痛も、私にはあまりに判り過ぎていたが、平安朝の丈高い叢を掻き分けて見るには、墓所さえ失っていた町の小路の女の、みじかい生涯を見つめる私の眼は決して離れようとしなかった。私はすべて淪落の人を人生から贔屓にし、そして私はたくさんの名もない女から、若い頃のすくいを貰った。学問や慧智のある女は一人として私の味方でも友達でもなかった。碌に文字を書けないような智恵のない眼の女、何処でどう死に果てたか判らないような馬鹿みたいな女、そういう人がこの「蜻蛉の日記」の執筆中に、机の向う側に坐って笑う事も話をする事もなく、現われては朦朧たる姿を消して去った。私を教えた者はこれらの人々の無飾の純粋であり、私の今日の仕事のたすけとなった人々もこれらの人達の呼吸のあたたかさであった。私が時を隔てて町の小路の女の中の、幾らかでも栄えのある生涯の記述をすすめたのも、みな、この昔のすくいを書き留めたい永い願いからであった。(P.211)

 

この犀星の言葉を目にすると、文学っていいなぁとつくづく思いますね。

思わず、溜め息が出ちゃいます。

 

持論になってしまうのですが、私は文学は弱者のためのものだと信じています。

それは社会的・肉体的・精神的など色んな層での弱者です。

あるいは、強者である方の中に潜む弱者としての自己。

彼らに寄り添うものが文学である、とこれは揺るぎない想いで存在しています。

 

同時に、時代を越境できることが文学の強みです。

過去のひとやこと、彼らの記憶を取り出して、現在に書き蘇らせる。

それは、場合によってはゴテゴテしたり、シャパシャパしたり、と必ずしも輝いたものに至らないこともあるでしょう。

 

けれども、たゆまなく試み続けることで記憶をつなぎとめることができる。

そのように信じて止みません。

紫苑の上が、藤原道綱母が惑いながら、とにかく「書き」続けたように、

そして犀星が「書き」続けたように。

 

そう、紫苑の上や兼家に新たな価値観を植えつけた冴野の姿は、

歴史の裏場でひっそりと生涯を過ごしたこの女性を通じて、新たな輝きを与えてくれている犀星そのものにも映るのです。

ある種の霊力と言っても言い過ぎではない存在が、この作品を完成させています。

 

最後に犀星自身の言葉を引用して終わろうと思います。

 

われわれは何時も面白半分に物語を書いているのではない。殊に私自身は何時も生母にあくがれを持ち、機会を捉えては生母を知ろうとし、その人を物語ることをわすれないでいるからだ。われわれは誰をどのように書いても、その誰かに何時も会い、その人と話をしている必要があったからだ。他の誰でもない場合もあるが、つねにわれわれの生きている謝意は勿論、名もない人に名といのちを与えて、今一度生きることを、仕事の上で何時もつながって誓っている者である。でたらめの骨髄に本物が些んの少しばかり生き、それを捜ることに昼夜のわかちなく続けて書いていると、言っていいのであろう。(P.214)

 

ホメロスしかり、琵琶法師しかり、犀星しかり。

そして、いつの時代にも存在する名もなき紹介者しかり。

 

物語ることは、「つなぐ」ことなのです。