「困窮」は、笑い話に変えちまえ───葛西善蔵『贋物・父の葬式』
こんにちは。
お酒、飲んでますか。
私はいつも飲んでます。
特に夜勤明けの一杯はたまらんのです。
そして何と言っても、これから段々と暑くなって、ビールが最高に美味くなる季節がやってきますね。
うおぉ、飲むぞおぉ!!
はい。
さて、いつも安酒を飲みながら、ふと頭をよぎる作家がいます。
葛西善蔵(1887-1928)のことです。
酒神・バッカスに魂を売って、筆に才を、いや、生活そのものに才を振るった作家です。
お酒の飲み方は人様々だと思いますが、大きく分けて以下の二つがあるんじゃねえかと常々思っております。
1.酒そのものが好きで飲む
2.酒の魔力(なんて格好つけて書きましたが、要は「酔い」あるいはエクスタシー)を借りなければこんな世の中やっていけないので飲むし、飲まないとむしろ何も出来ねえわ、て言うか、そんなみみっちいこと考えるのもイヤだから飲む、もうグングン飲んだらたちまち目の前が晴れやかになるしね、ってかうるせえわ飲むわ!
という、以上の二つですね。
どちらも当てはまるよ! なんて人ももちろんいらっしゃるかと思いますが、二つ目だけの理由で飲む人はこんなブログを読まずに今すぐ葛西善蔵の著作を読んでください。
そして、安酒でも秘蔵の酒でも何でもいいので酒類を傍らに置いてやってください。
野暮なことを書きなぐりました。失礼しました。
とにかく、葛西善蔵。最高なのです。中でも『贋物』。
今回はこちらが収録された『贋物・父の葬式』(講談社文芸文庫、2012年初版)を参考にして彼について書いていきます。
ではとりあえず、コップ酒をば。
・キツい世の中、自虐でもしてなきゃやってらんねえべさ
日々、生きるの辛くないですか? マジやってらんねえんすけど。
ってなもんで、日常を唾棄すべきクソ風景としか見ることの出来ない人にとって、生にまつわる苦悶や懊悩は付け焼き刃のライフハックなんかじゃ、なかなか晴れないことがほとんどです。
ストレス社会なんて今でこそ手垢がつきまくった言葉がございますが、そんなものは昔から存在するもんで、そうでなければ文学なんてものも今日まで発展していない、どころか、意義すら無かろう。無いでござろう。
人間が構成するこの、社会とかいう巨大な面倒臭いものがある限り、ストレスなんて便利な言葉で形容される精神的軋轢は未来永劫生じるのでしょう。
「一切皆苦」なんて上手いことを言ったもんですわん。
で、今さら言うことじゃないですけれど、巷に溢れるライフハックでは、場当たり的に気持ちが晴れても、それは根本の解決に至らずあくまで対症療法的効果しか見込めないと思います。
するってえと何だい、文学や酒は根本的解決の糸口になるのか、おめえさんよ? ってなりますが、なるんですこれが。
(いや、酒はならぬ…?)
前の記事でも書きましたが、基本的に文学は「弱者」のために在るものだと思っております。
生活がキツい、人と関わるのがキツい、仕事がキツい、あるいは物質的には恵まれているけれど精神が不安定だ、等々。
そのような現実に真っ向から挑むと結構、やられます。
これといった正当がないので、やられます。
もちろん、ある程度の法則にハメて上手いこと世を渡る術なんてものもあることは在るのでしょうが、そんなものはクソです。いつか、バレます。
と言うか、そもそも生にキツさを感じるような神経を持つ人はそんな法則を嫌うでしょうし、乱暴な言い方になってしまいますが、うまく扱えないんじゃないか。
じゃ、どうすんのさって話で、ベストな答えではないですが、現時点で最もしっくりくるのは、やられてやられて、また傷口を治癒させて挑むというやり方です。
これは結構、無茶苦茶と言いますか、わりとマッチョな思想だとお思いかも知れませんが、生におけるスクラップ・アンド・ビルドこそ生きにくい系の人が立ち上がるために残された道なのではないかななんてことを思うのですね。
しっくりくると言うか、豊かなんじゃないのっていう風です。
やられた傷痕をそのまま打っ棄って、眺めるだけだと後退の一途を辿るだけです。
どうせなら、その傷痕をきっかけにして面白いことに気付いたり、吸収した方が豊かな広がりが見込めるよねえってことなのです。
言い換えると、注意しなければならないのは、その「やられる」過程で気付きや、救済、言わばある種のヒーラーがいないと闇の暗さは深まるばかり、ということです。
心身がギタギタな状態のまま爆走すると確実に闇に呑まれて詰みます。
そこに一縷の望み、一閃の光となるものが文学作品であり、同時に、書いた作者のスタンスではないかと信じております。
そして、ビルドするための大切なことはもう一つ。
ユーモアの存在です。
これは、張り詰めたままだと必ず切れてしまう細い線を持つ人にこそ、必要な要素だと思います。
別に本人が有していなくても、誰かが発してくれるユーモアに触れるだけで多少、今日も生きてみっか! となれちゃいます。魔法です。
それも皮肉やナンセンスから生じる笑いではなく、自虐。
生暖かい感じがするこの自虐というユーモアこそ、生に肉薄しているようにすら感じます。
葛西善蔵は、この自虐センスに溢れた天才でした。少なくとも私はそう思います。
本作を読んで頂けますとお分かりかと思いますが、とにかく貧困! 居場所がない! けど、書く気が起きない!てか、書けないんじゃ! という絶望に近い状況で今日という日を、酒と共に呑み込む人でした。
そんな状況の自分をただ無為に流しているのではなく、馬鹿らしく、時には哀愁すら感じさせる笑いでコーティングして書いているのです。
少し複雑な構図ですが、絶望ではなく、絶望に限りなく近い状況そのものを唯一の望みに転換させている、ということです。
そうでもしないと、生きていけなかったのでしょう。
葛西善蔵の作品から助けられることは本当にこの点に尽きますし、この点において極北の作家だと言えましょう。
・「酒に呑まれて」書くことで自己たらしめるスタイルを確立
本書『贋物・父の葬式』には、表題の2編を含めて、計18編の短編が収録されています。
もちろん、どの作品も面白い上に、焦点が異なるので1編ずつ読んでいくにつれて、善蔵への理解が深まっていくのですが、何より笑ったのがほとんどの作品で酒を飲む描写、あるいは酒への言及があることです。
ここまで来ると彼にとって、酒はただのモチーフではなく、生きる活力・生きていくための必需アイテムということが分かります。
本記事の冒頭で、酒を飲む理由を二つ掲げましたが、葛西善蔵は紛れもなく後者に属します。
つまり、「酒を飲まないとやってらんねえ」系の人なのです。
自棄的に飲むというよりは、飲まないと「明かせない」。
自分のことも、相手と対峙することも「明かせない」し、夜も「明かせない」。
希望の糸を手繰るために酒を飲むが、飲めば失うものもある。けれど、その空白を埋めるためにまた飲む……自転車操業もいいとこです。
『贋物』は少しでもお金を工面するために、親戚から引き取った都合十七点もの美術品を主人公・耕吉が売ろうとするが、実はそれらは……という話です。
(もはや隠す意味がなくてすみません)
どこからどこまでが実話なのかは浅学ゆえ不明なのですが、耕吉が困窮に喘いでいた姿は善蔵そのものでしょう。
そして、酒によって人の姿を「再生」しようとしている姿もまた。
そもそも本作の頭の部分からしてイかれています。
生活の逼迫により妻子を故郷に返していた耕吉は、彼らの元でぼんやりと再起を図ろうとし、青森に向かう途中、秋田に立ち寄ります。
この地では弟の惣治夫婦が居を構えていました。
積もる話もあるべさ、と対面するのですが、もうこの時点で酒が出てきます。開始6ページ。
それはまだ良いとして、この後の兄弟の会話に抱腹します。
30歳を越えてなおまだフラフラしている兄を、見過ごすわけにはいかないと篤実な弟は、こんなことを耕吉に言います。
「併し酒だけは、先きも永いことだから、兄さんと一緒に飲んで居ると云う訳にも行きますまいね。そりゃ兄さんが一人で二階で飲んでる分には些とも構いませんが、私もお相伴をして毎日飲んでるとなっては、帳場の手前にしてもよくありませんからね」
これが惣治の最も怖れたことであった。
「……そりゃそうとも、僕も今度は全く禁酒のつもりで帰って来たのだ」と耕吉は答えた。「実はね、僕も酒さえ禁めると、田舎へ帰ったらまだ活きて行く余地もあろうかと思ってね……」
耕吉はついこう附加えたが、さすがに顔の赤くなるのを感じた。(P.13)
禁酒のつもりて、もう早速飲んどるやないかい! と突っ込む余地を与えず、「顔の赤くなるのを感じた」と、自分でボケを回収してしまうという。
自己客観視の才の萌芽が垣間見えます。
しかしまあ、これあるあるですよね。
もうこれが最後の酒なんじゃい! これを飲んだらもう金輪際やめて、新しく生まれ変わるのだ! という宣言。
申し訳ないと思いながらも、やはり酒を飲まざるを得ない…….すごく…分かります…….。
そうこうして2、3日を経て弟から手紙を貰った郷里の父がやって来ます。
その日の晩、(またも酒の場!)父は耕吉を思い切り罵ることになるのですが、耕吉は終局、泣いてしまいます。
きちんとしなければいけないことは分かっているんです、けれども、それが出来ない、生活不能者としての烙印を押された惨めさからくる涙だったのでしょうか。
しかし、父は優しい。あえて発破をかけたのです。
きっとこのままではいけないと真剣に思っていたのか。耕吉を勘当することなく、もう一度チャンスを与えます。
泣いた耕吉に対し、それは空涙じゃないのか? その涙でいつも家族を振り回して半年も一年ものんびりと遊びやがって。弟からの仕送りを断るから、てめえ一人で生計を立てやがれ、というようなことを言い放ったのです。
30歳。現代での年齢観と、当時のそれとではまた話は違ってきましょう。
さらに三人の子供も抱えている身です。さすがに、普段どんなに親切にしてくれている父であろうと、こうまで言わなきゃいけない時があるのです。
こうなれば、「ああ、惨めだ……」と落ち込んでる場合じゃありません。
翌日早速、青森へ。
親戚のあてにより、ボロ屋だけれど住めないこともない家をあてがわれ、さすがの耕吉も「なんとか一念発起するんだ、さあ頑張るぞ!」と机の前で奮起します。
嘘です。ここで行動に移せないのが、耕吉、いや、善蔵です。
始めたのは筆を執ることではなく、なんとこれからの夢想。
「俺の避難所はプアだけれど安全なものだ。俺も今こそかの芸術の仮面家共を千里の遠くに唾棄して、安んじて生命の尊く、人類の運命の大きくして悲しきを想うことが出来る……」
寝間の粗壁を切抜いて形ばかりの明り取りを附け、藁と薄縁を敷いたうす暗い書斎に、彼は金城鉄壁の思いで、籠っていた。で得意になって、こう云ったような文句の手紙を、東京の友人達へ出したりした。(P.22)
彼は、忽ちこのあばらや(引用者注:傍点アリ)の新生活に有頂天だったのである。そして頻りに生命とか、人類の運命とか、神とか愛とか云うことを考えようとした。それが彼の醜悪と屈辱の過去の記憶を、浄化するであろうと、彼は信じたのであった。彼は自分のことを、「空想と現実との惨ましき戦いをたゝかう勇士ではあるまいか」、と思ったりした。(P.22-23)
こいつぁやべえよ、明日から本気出す、どころか、俺は選ばれし者だと誇ってしまってるよ、やべえよやべえよ……と、ツッコミどころが満載で困惑すら感じますが、でもなんか分かる気もします。
新しい環境で創作に励もうとしたら、まず意気込みが膨張してしまって空回り。
気分だけは躁状態という。もちろん、手は動かせておらず。
けれど、これでいいんじゃないでしょうか。
酒に限らず、妄想や夢に「呑まれる」姿は誰しもあるはずだからです。
その姿を、虚飾なく正直に書き写すその活写模様には善蔵にしか出せない色があると思ってなりません。
おそらく、ここのボケのような描写に対してツッコむ人は多いでしょうけれど、真剣に真顔でツッコむなんて野暮なことを出来る人はあまりいないんじゃないでしょうか。
なぜなら、ほとんどの人が共体験・共感出来ることですからね。
こういう姿を親しみを込めて笑う人がいるのは分かりますが、本気で軽蔑するような人がいれば、私はその人を軽蔑すると思います。
生活破綻者としての資質に誇大妄想癖もバッチリと合わせもっている姿に共感してしまい、正直馬鹿に出来ないということもありますが……。
で、このように『贋物』を始めとして、善蔵の作品にはよく自分の恥ずかしい思考や言動が書かれています。
普通はそこまでさらけ出せません。
ちょっとしたプライドが邪魔をして自分が嘲笑されるようなことは隠すのがほとんどでしょう。
けれど、善蔵はあえて、その姿を書くことで人間の惨めさ・恥ずべき卑小さを遺しているのです。
もちろん淡々と書くのではなく、笑える要素を入れたり、実は柔和である人柄が感じられるような文体で施したり、とただの自分語りとは一線を画しています。
しかし、そこで躍動しているのは「卑小で笑われるような自分」。
この自己演出にも近い手法は根が真面目な人には、ガタがきます。言ってみれば、諸刃の剣です。リスクが大きいのです。
実生活を芸に落とすことは、酒の魔力に借りるところが当然出てきましょう。
それどころか、その酒乱ぶりをも芸にしてしまうということで、これはもう飲まなきゃ務まらんのです。
自分らしさを表現するために苦悩し、そして酒を飲むが、酒を飲まねば芸術は生まれない、という。
まるで、悪魔の契約ですね。
明らかにいけないと知りつつも、手を繋がないと何も生み出せないという。
よく、スタイルとして、文学と酒との関係が語られますが、善蔵のケースに至ってはスタイルとかいう生半可なものではなく、本当に字義通り、酒と切っても切れなかったのです。
自分の芸術を生み出すためには、「酒に呑まれて」いないといけないガチンコだったのです。
・『贋物』に込められた「諦め」ひいては、真っ当に生きることへの「諦め」
本作において、生活や神経の「困窮」と一生付き合っていくことを引き受けた描写があります。
弟・惣治が遊びに来たときの会話の中で、耕吉はここ二年間、亡霊によく出会うと伝えます。
それは他の誰でもなく、自分自身の姿をした亡霊とのこと。
ん? ちょっと何言ってるかよくわからない、とツッコむことなく、弟は「そうですか、そんなこともあるんですねえ」と軽くいなしつつも、腰を据えて聞いています。
その亡霊が耕吉の前に現れるのは、決まって苦しく惨めな思いを痛烈に感じる時だそうです。
特に気管支の持病が悪化するときや、貧乏を極めるとき、例えば下宿にも帰れずトボトボと公園をうろついているとき、など。
このことは友人にも伝えていたそうで、
「(略)友達はそれは酒精中毒からの幻覚と云うものだと云ったが、僕にはその幻覚でよかったんさ。で僕は、僕と云う人間は、結局自分自身の亡霊相手に一生を送るほかには能の無い人間だろうと、極めてしまったのだ。(略)」(P.27)
と、語ります。
ここでの亡霊は言わずもがな、自身の抱く孤独や不安といった感情が混淆した姿形でしょう。
そしてここでの告白は、そいつと一生付き合っていく「諦め」にも取れるでしょう。
また、現行しているこの家での生活でもこの亡霊、「困窮」の面を被ったそいつと対峙しています。
彼は毎晩酔払っては一時頃までぐっすりと睡込んだ。眼が醒めては追かけ苦しい妄想に悩まされた。ある時には自分が現在、広大な農地、立派な邸宅、豊富な才能、飲食物等の所有者であるような幻しに浮かされたが、また神とか愛とか信仰とか云うようなことも努めて考えて見たが、いずれは同じく自分に反って来る絶望呵責の笞であった。そして疲れ果てゝは咽喉や胸腹に刃物を当てる発作的な恐怖に戦きながら、夜明け頃から気色の悪い次ぎの睡りに落込んだ。自然の草木程にも威勢よく延びて行くと云う子供達の生命力を目の当り見せられても、讃美の念は起らず、苦痛であった。(P.34)
もはや、子供たちの明日を思わない無邪気な姿を見ても讃美するどころか、苦痛とすら思うレベルになっています。
この亡霊、出自は自身の懊悩からです。
そしてその懊悩が増幅するに反比例し、まばゆい世界を妄想するようにもなっています。
はっきり言って、凄まじい告白です。
ただし、着目したいのは、これはあくまでも宣戦布告としての告白だと読むこともできるのではないかということです。
放り投げて、もういいや面倒くせえというニュアンスの「諦め」ではなく、この抜け出せない谷底でしか見えない世界で対峙する、孤独や不安といった亡霊のことを書いてやる、という矜持すら浮かばれます。
晩年、ポルターガイストを見たと言われる芥川龍之介も神経が尖りすぎたゆえの懊悩に苦しんでいたと言われますが、善蔵とはまた異なる形で諦めてしまいました。
そう、善蔵において諦めるというのは「明かす」という意味での諦めなのです。
ここまで凄惨になったならば、落伍者として俺んしか書けねえもん書いたるわ! という「諦め」なのではないでしょうか。
むしろ、だからこそ自己戯画とでも言える書き方をしているわけでしょうし、俯瞰する余裕がなければこの書き方は出来ません。
これがもし、本当に「諦め」切れていなければ、耕吉の惨めな姿をまず書こうとしないでしょう。
それに、ただ主観的、つまりは自分に都合の良い書き方をもって日常を書くだけの恐ろしくつまらない作品となっていたはずです。
前項でも書きましたが、善蔵は徹底的に自分を見つめ、その落伍した姿を造形することで生そのものを作品にしているのです。
自身を切り売りする、と言えば乱暴ですが、善蔵自身の血反吐がついた困窮した日常に、彼自身の生来のユーモアを施して告白することで、生活模様を現世唯一の作品に仕上げたと換言してもよいでしょう。
荒廃した生活に突き進みスクラップし、その痛めつけた塊をユーモアでビルドさせ、人間の惨めさの底にある生の美しさを承継する普遍的作品として昇華させています。
この日常に対する「諦め」、「困窮」を抱きしめる矜持、それらはきっと生きることや人をじっと見つめることが出来る人にしか持てないんじゃないかと思います。
葛西善蔵はどんなに惨たらしくも、気弱だけれどやさしいという目線だけはずっと持っていた人なのではないでしょうか。
また、『贋物』以外の作品からも同様に受け取れます。
全編にも言えますが、特に『火傷』『浮浪』『遺産』の三作から、「困窮」を甘んじることなく引き受けた人だからこそ生み出せるユーモアを感じられます。
あと蛇足ですが、そんな善蔵の人柄を敬愛していたと思われる作品が同郷の太宰治によっても書かれています。
彼のあたたかな目線は「酒を飲まないとやってらんねえ」系、いや、「生活マジやってらんねえ」系を中心に、全ての愛すべきクソ野郎たちに恒久的に注がれているのでしょう。
善蔵がいればこそ、今日のメシだけで生きらえる。
かように、善蔵を思います。