「困窮」は、笑い話に変えちまえ───葛西善蔵『贋物・父の葬式』

こんにちは。

 

お酒、飲んでますか。

私はいつも飲んでます。

特に夜勤明けの一杯はたまらんのです。

そして何と言っても、これから段々と暑くなって、ビールが最高に美味くなる季節がやってきますね。

うおぉ、飲むぞおぉ!!

 

はい。

さて、いつも安酒を飲みながら、ふと頭をよぎる作家がいます。

 

葛西善蔵(1887-1928)のことです。

酒神・バッカスに魂を売って、筆に才を、いや、生活そのものに才を振るった作家です。

 

お酒の飲み方は人様々だと思いますが、大きく分けて以下の二つがあるんじゃねえかと常々思っております。

 

1.酒そのものが好きで飲む

2.酒の魔力(なんて格好つけて書きましたが、要は「酔い」あるいはエクスタシー)を借りなければこんな世の中やっていけないので飲むし、飲まないとむしろ何も出来ねえわ、て言うか、そんなみみっちいこと考えるのもイヤだから飲む、もうグングン飲んだらたちまち目の前が晴れやかになるしね、ってかうるせえわ飲むわ!

 

という、以上の二つですね。

どちらも当てはまるよ! なんて人ももちろんいらっしゃるかと思いますが、二つ目だけの理由で飲む人はこんなブログを読まずに今すぐ葛西善蔵の著作を読んでください。

そして、安酒でも秘蔵の酒でも何でもいいので酒類を傍らに置いてやってください。

  

野暮なことを書きなぐりました。失礼しました。

とにかく、葛西善蔵。最高なのです。中でも『贋物』。

 

今回はこちらが収録された『贋物・父の葬式』(講談社文芸文庫、2012年初版)を参考にして彼について書いていきます。

ではとりあえず、コップ酒をば。

 

 

・キツい世の中、自虐でもしてなきゃやってらんねえべさ

 

日々、生きるの辛くないですか? マジやってらんねえんすけど。

ってなもんで、日常を唾棄すべきクソ風景としか見ることの出来ない人にとって、生にまつわる苦悶や懊悩は付け焼き刃のライフハックなんかじゃ、なかなか晴れないことがほとんどです。

 

ストレス社会なんて今でこそ手垢がつきまくった言葉がございますが、そんなものは昔から存在するもんで、そうでなければ文学なんてものも今日まで発展していない、どころか、意義すら無かろう。無いでござろう。

 

人間が構成するこの、社会とかいう巨大な面倒臭いものがある限り、ストレスなんて便利な言葉で形容される精神的軋轢は未来永劫生じるのでしょう。

一切皆苦」なんて上手いことを言ったもんですわん。

 

で、今さら言うことじゃないですけれど、巷に溢れるライフハックでは、場当たり的に気持ちが晴れても、それは根本の解決に至らずあくまで対症療法的効果しか見込めないと思います。

 

するってえと何だい、文学や酒は根本的解決の糸口になるのか、おめえさんよ? ってなりますが、なるんですこれが。

(いや、酒はならぬ…?)

 

前の記事でも書きましたが、基本的に文学は「弱者」のために在るものだと思っております。

生活がキツい、人と関わるのがキツい、仕事がキツい、あるいは物質的には恵まれているけれど精神が不安定だ、等々。

そのような現実に真っ向から挑むと結構、やられます。

これといった正当がないので、やられます。

もちろん、ある程度の法則にハメて上手いこと世を渡る術なんてものもあることは在るのでしょうが、そんなものはクソです。いつか、バレます。

と言うか、そもそも生にキツさを感じるような神経を持つ人はそんな法則を嫌うでしょうし、乱暴な言い方になってしまいますが、うまく扱えないんじゃないか。

 

じゃ、どうすんのさって話で、ベストな答えではないですが、現時点で最もしっくりくるのは、やられてやられて、また傷口を治癒させて挑むというやり方です。

 

これは結構、無茶苦茶と言いますか、わりとマッチョな思想だとお思いかも知れませんが、生におけるスクラップ・アンド・ビルドこそ生きにくい系の人が立ち上がるために残された道なのではないかななんてことを思うのですね。

 

しっくりくると言うか、豊かなんじゃないのっていう風です。

やられた傷痕をそのまま打っ棄って、眺めるだけだと後退の一途を辿るだけです。

どうせなら、その傷痕をきっかけにして面白いことに気付いたり、吸収した方が豊かな広がりが見込めるよねえってことなのです。

 

言い換えると、注意しなければならないのは、その「やられる」過程で気付きや、救済、言わばある種のヒーラーがいないと闇の暗さは深まるばかり、ということです。

心身がギタギタな状態のまま爆走すると確実に闇に呑まれて詰みます。

 

そこに一縷の望み、一閃の光となるものが文学作品であり、同時に、書いた作者のスタンスではないかと信じております。

 

そして、ビルドするための大切なことはもう一つ。

ユーモアの存在です。

これは、張り詰めたままだと必ず切れてしまう細い線を持つ人にこそ、必要な要素だと思います。

別に本人が有していなくても、誰かが発してくれるユーモアに触れるだけで多少、今日も生きてみっか! となれちゃいます。魔法です。

 

それも皮肉やナンセンスから生じる笑いではなく、自虐。

生暖かい感じがするこの自虐というユーモアこそ、生に肉薄しているようにすら感じます。

 

葛西善蔵は、この自虐センスに溢れた天才でした。少なくとも私はそう思います。

本作を読んで頂けますとお分かりかと思いますが、とにかく貧困! 居場所がない! けど、書く気が起きない!てか、書けないんじゃ! という絶望に近い状況で今日という日を、酒と共に呑み込む人でした。

 

そんな状況の自分をただ無為に流しているのではなく、馬鹿らしく、時には哀愁すら感じさせる笑いでコーティングして書いているのです。

少し複雑な構図ですが、絶望ではなく、絶望に限りなく近い状況そのものを唯一の望みに転換させている、ということです。

 

そうでもしないと、生きていけなかったのでしょう。

葛西善蔵の作品から助けられることは本当にこの点に尽きますし、この点において極北の作家だと言えましょう。

 

 

・「酒に呑まれて」書くことで自己たらしめるスタイルを確立

 

本書『贋物・父の葬式』には、表題の2編を含めて、計18編の短編が収録されています。

 

もちろん、どの作品も面白い上に、焦点が異なるので1編ずつ読んでいくにつれて、善蔵への理解が深まっていくのですが、何より笑ったのがほとんどの作品で酒を飲む描写、あるいは酒への言及があることです。

 

ここまで来ると彼にとって、酒はただのモチーフではなく、生きる活力・生きていくための必需アイテムということが分かります。

 

本記事の冒頭で、酒を飲む理由を二つ掲げましたが、葛西善蔵は紛れもなく後者に属します。

つまり、「酒を飲まないとやってらんねえ」系の人なのです。

自棄的に飲むというよりは、飲まないと「明かせない」。

自分のことも、相手と対峙することも「明かせない」し、夜も「明かせない」。

希望の糸を手繰るために酒を飲むが、飲めば失うものもある。けれど、その空白を埋めるためにまた飲む……自転車操業もいいとこです。

 

『贋物』は少しでもお金を工面するために、親戚から引き取った都合十七点もの美術品を主人公・耕吉が売ろうとするが、実はそれらは……という話です。

(もはや隠す意味がなくてすみません)

 

どこからどこまでが実話なのかは浅学ゆえ不明なのですが、耕吉が困窮に喘いでいた姿は善蔵そのものでしょう。

そして、酒によって人の姿を「再生」しようとしている姿もまた。

 

そもそも本作の頭の部分からしてイかれています。

生活の逼迫により妻子を故郷に返していた耕吉は、彼らの元でぼんやりと再起を図ろうとし、青森に向かう途中、秋田に立ち寄ります。

 

この地では弟の惣治夫婦が居を構えていました。

積もる話もあるべさ、と対面するのですが、もうこの時点で酒が出てきます。開始6ページ。

 

それはまだ良いとして、この後の兄弟の会話に抱腹します。

30歳を越えてなおまだフラフラしている兄を、見過ごすわけにはいかないと篤実な弟は、こんなことを耕吉に言います。

 

「併し酒だけは、先きも永いことだから、兄さんと一緒に飲んで居ると云う訳にも行きますまいね。そりゃ兄さんが一人で二階で飲んでる分には些とも構いませんが、私もお相伴をして毎日飲んでるとなっては、帳場の手前にしてもよくありませんからね」

 これが惣治の最も怖れたことであった。

「……そりゃそうとも、僕も今度は全く禁酒のつもりで帰って来たのだ」と耕吉は答えた。「実はね、僕も酒さえ禁めると、田舎へ帰ったらまだ活きて行く余地もあろうかと思ってね……」

 耕吉はついこう附加えたが、さすがに顔の赤くなるのを感じた。(P.13)

 

禁酒のつもりて、もう早速飲んどるやないかい! と突っ込む余地を与えず、「顔の赤くなるのを感じた」と、自分でボケを回収してしまうという。

自己客観視の才の萌芽が垣間見えます。

 

しかしまあ、これあるあるですよね。

もうこれが最後の酒なんじゃい! これを飲んだらもう金輪際やめて、新しく生まれ変わるのだ! という宣言。

申し訳ないと思いながらも、やはり酒を飲まざるを得ない…….すごく…分かります…….。

 

そうこうして2、3日を経て弟から手紙を貰った郷里の父がやって来ます。

その日の晩、(またも酒の場!)父は耕吉を思い切り罵ることになるのですが、耕吉は終局、泣いてしまいます。

きちんとしなければいけないことは分かっているんです、けれども、それが出来ない、生活不能者としての烙印を押された惨めさからくる涙だったのでしょうか。

 

しかし、父は優しい。あえて発破をかけたのです。

きっとこのままではいけないと真剣に思っていたのか。耕吉を勘当することなく、もう一度チャンスを与えます。

泣いた耕吉に対し、それは空涙じゃないのか? その涙でいつも家族を振り回して半年も一年ものんびりと遊びやがって。弟からの仕送りを断るから、てめえ一人で生計を立てやがれ、というようなことを言い放ったのです。

 

30歳。現代での年齢観と、当時のそれとではまた話は違ってきましょう。

さらに三人の子供も抱えている身です。さすがに、普段どんなに親切にしてくれている父であろうと、こうまで言わなきゃいけない時があるのです。

 

こうなれば、「ああ、惨めだ……」と落ち込んでる場合じゃありません。

翌日早速、青森へ。

親戚のあてにより、ボロ屋だけれど住めないこともない家をあてがわれ、さすがの耕吉も「なんとか一念発起するんだ、さあ頑張るぞ!」と机の前で奮起します。

 

嘘です。ここで行動に移せないのが、耕吉、いや、善蔵です。

始めたのは筆を執ることではなく、なんとこれからの夢想。

 

「俺の避難所はプアだけれど安全なものだ。俺も今こそかの芸術の仮面家共を千里の遠くに唾棄して、安んじて生命の尊く、人類の運命の大きくして悲しきを想うことが出来る……」

 寝間の粗壁を切抜いて形ばかりの明り取りを附け、藁と薄縁を敷いたうす暗い書斎に、彼は金城鉄壁の思いで、籠っていた。で得意になって、こう云ったような文句の手紙を、東京の友人達へ出したりした。(P.22)

 

 彼は、忽ちこのあばらや(引用者注:傍点アリ)の新生活に有頂天だったのである。そして頻りに生命とか、人類の運命とか、神とか愛とか云うことを考えようとした。それが彼の醜悪と屈辱の過去の記憶を、浄化するであろうと、彼は信じたのであった。彼は自分のことを、「空想と現実との惨ましき戦いをたかう勇士ではあるまいか」、と思ったりした。(P.22-23)

 

こいつぁやべえよ、明日から本気出す、どころか、俺は選ばれし者だと誇ってしまってるよ、やべえよやべえよ……と、ツッコミどころが満載で困惑すら感じますが、でもなんか分かる気もします。

新しい環境で創作に励もうとしたら、まず意気込みが膨張してしまって空回り。

気分だけは躁状態という。もちろん、手は動かせておらず。

 

けれど、これでいいんじゃないでしょうか。

酒に限らず、妄想や夢に「呑まれる」姿は誰しもあるはずだからです。

その姿を、虚飾なく正直に書き写すその活写模様には善蔵にしか出せない色があると思ってなりません。

 

おそらく、ここのボケのような描写に対してツッコむ人は多いでしょうけれど、真剣に真顔でツッコむなんて野暮なことを出来る人はあまりいないんじゃないでしょうか。

なぜなら、ほとんどの人が共体験・共感出来ることですからね。

こういう姿を親しみを込めて笑う人がいるのは分かりますが、本気で軽蔑するような人がいれば、私はその人を軽蔑すると思います。

生活破綻者としての資質に誇大妄想癖もバッチリと合わせもっている姿に共感してしまい、正直馬鹿に出来ないということもありますが……。

 

で、このように『贋物』を始めとして、善蔵の作品にはよく自分の恥ずかしい思考や言動が書かれています。

普通はそこまでさらけ出せません。

ちょっとしたプライドが邪魔をして自分が嘲笑されるようなことは隠すのがほとんどでしょう。

 

けれど、善蔵はあえて、その姿を書くことで人間の惨めさ・恥ずべき卑小さを遺しているのです。

もちろん淡々と書くのではなく、笑える要素を入れたり、実は柔和である人柄が感じられるような文体で施したり、とただの自分語りとは一線を画しています。

 

しかし、そこで躍動しているのは「卑小で笑われるような自分」。

この自己演出にも近い手法は根が真面目な人には、ガタがきます。言ってみれば、諸刃の剣です。リスクが大きいのです。

実生活を芸に落とすことは、酒の魔力に借りるところが当然出てきましょう。

 

それどころか、その酒乱ぶりをも芸にしてしまうということで、これはもう飲まなきゃ務まらんのです。

自分らしさを表現するために苦悩し、そして酒を飲むが、酒を飲まねば芸術は生まれない、という。

まるで、悪魔の契約ですね。

明らかにいけないと知りつつも、手を繋がないと何も生み出せないという。

 

よく、スタイルとして、文学と酒との関係が語られますが、善蔵のケースに至ってはスタイルとかいう生半可なものではなく、本当に字義通り、酒と切っても切れなかったのです。

自分の芸術を生み出すためには、「酒に呑まれて」いないといけないガチンコだったのです。

 

 

・『贋物』に込められた「諦め」ひいては、真っ当に生きることへの「諦め」

 

本作において、生活や神経の「困窮」と一生付き合っていくことを引き受けた描写があります。

 

弟・惣治が遊びに来たときの会話の中で、耕吉はここ二年間、亡霊によく出会うと伝えます。

それは他の誰でもなく、自分自身の姿をした亡霊とのこと。

ん? ちょっと何言ってるかよくわからない、とツッコむことなく、弟は「そうですか、そんなこともあるんですねえ」と軽くいなしつつも、腰を据えて聞いています。

 

その亡霊が耕吉の前に現れるのは、決まって苦しく惨めな思いを痛烈に感じる時だそうです。

特に気管支の持病が悪化するときや、貧乏を極めるとき、例えば下宿にも帰れずトボトボと公園をうろついているとき、など。

 

このことは友人にも伝えていたそうで、

 

「(略)友達はそれは酒精中毒からの幻覚と云うものだと云ったが、僕にはその幻覚でよかったんさ。で僕は、僕と云う人間は、結局自分自身の亡霊相手に一生を送るほかには能の無い人間だろうと、極めてしまったのだ。(略)」(P.27) 

 

と、語ります。

ここでの亡霊は言わずもがな、自身の抱く孤独や不安といった感情が混淆した姿形でしょう。

そしてここでの告白は、そいつと一生付き合っていく「諦め」にも取れるでしょう。

 

また、現行しているこの家での生活でもこの亡霊、「困窮」の面を被ったそいつと対峙しています。

 

 彼は毎晩酔払っては一時頃までぐっすりと睡込んだ。眼が醒めては追かけ苦しい妄想に悩まされた。ある時には自分が現在、広大な農地、立派な邸宅、豊富な才能、飲食物等の所有者であるような幻しに浮かされたが、また神とか愛とか信仰とか云うようなことも努めて考えて見たが、いずれは同じく自分に反って来る絶望呵責の笞であった。そして疲れ果ては咽喉や胸腹に刃物を当てる発作的な恐怖に戦きながら、夜明け頃から気色の悪い次ぎの睡りに落込んだ。自然の草木程にも威勢よく延びて行くと云う子供達の生命力を目の当り見せられても、讃美の念は起らず、苦痛であった。(P.34)

 

もはや、子供たちの明日を思わない無邪気な姿を見ても讃美するどころか、苦痛とすら思うレベルになっています。

この亡霊、出自は自身の懊悩からです。

そしてその懊悩が増幅するに反比例し、まばゆい世界を妄想するようにもなっています。

はっきり言って、凄まじい告白です。

 

ただし、着目したいのは、これはあくまでも宣戦布告としての告白だと読むこともできるのではないかということです。

放り投げて、もういいや面倒くせえというニュアンスの「諦め」ではなく、この抜け出せない谷底でしか見えない世界で対峙する、孤独や不安といった亡霊のことを書いてやる、という矜持すら浮かばれます。

晩年、ポルターガイストを見たと言われる芥川龍之介も神経が尖りすぎたゆえの懊悩に苦しんでいたと言われますが、善蔵とはまた異なる形で諦めてしまいました。

 

そう、善蔵において諦めるというのは「明かす」という意味での諦めなのです。

ここまで凄惨になったならば、落伍者として俺んしか書けねえもん書いたるわ! という「諦め」なのではないでしょうか。

むしろ、だからこそ自己戯画とでも言える書き方をしているわけでしょうし、俯瞰する余裕がなければこの書き方は出来ません。

 

これがもし、本当に「諦め」切れていなければ、耕吉の惨めな姿をまず書こうとしないでしょう。

それに、ただ主観的、つまりは自分に都合の良い書き方をもって日常を書くだけの恐ろしくつまらない作品となっていたはずです。

 

前項でも書きましたが、善蔵は徹底的に自分を見つめ、その落伍した姿を造形することで生そのものを作品にしているのです。

自身を切り売りする、と言えば乱暴ですが、善蔵自身の血反吐がついた困窮した日常に、彼自身の生来のユーモアを施して告白することで、生活模様を現世唯一の作品に仕上げたと換言してもよいでしょう。

 

荒廃した生活に突き進みスクラップし、その痛めつけた塊をユーモアでビルドさせ、人間の惨めさの底にある生の美しさを承継する普遍的作品として昇華させています。

 

この日常に対する「諦め」、「困窮」を抱きしめる矜持、それらはきっと生きることや人をじっと見つめることが出来る人にしか持てないんじゃないかと思います。

 

葛西善蔵はどんなに惨たらしくも、気弱だけれどやさしいという目線だけはずっと持っていた人なのではないでしょうか。

 

また、『贋物』以外の作品からも同様に受け取れます。

全編にも言えますが、特に『火傷』『浮浪』『遺産』の三作から、「困窮」を甘んじることなく引き受けた人だからこそ生み出せるユーモアを感じられます。

 

あと蛇足ですが、そんな善蔵の人柄を敬愛していたと思われる作品が同郷の太宰治によっても書かれています。

彼のあたたかな目線は「酒を飲まないとやってらんねえ」系、いや、「生活マジやってらんねえ」系を中心に、全ての愛すべきクソ野郎たちに恒久的に注がれているのでしょう。

善蔵がいればこそ、今日のメシだけで生きらえる。

 

かように、善蔵を思います。

「怠けた」先にこそ、真実があるんだぜ───梅崎春生『怠惰の美学』

こんにちは。

 

怠けることはお好きでしょうか。

私は大好きです。布団最高。

出来れば布団の周りに生活に必要なものを置いて、そのまま生活したいくらいです。

 

近頃、めっきり暖かくなってきましたが、

同時に気だるさも春にはやってきます。

基本的にいつも気だるいですけれど、とくにこの季節は気だるさに拍車がかかります。

そんなときは、だらだらするのが精神衛生に一番いいと思っております。

 

けれど春が過ぎれば、待っているのはうだるような暑い夏。

文明化が進む現代に甘んじ、家では冷房の下でゴロゴロ。

外に出ては逃げるようにすぐにキャッフェーへ飛び込みウダウダ。

秋は窓を開けて虫の声なんて聴きながら、布団でチビチビ飲酒なんてすると切なさがやってきて最高です。

冬は言わずもがな、布団でヌクヌク以外の選択の余地がない季節でございます。

 

そうつまり、一年中布団が友達なのですね。布団最高。

布団布団うるさいですね、田山花袋じゃあるめえしってなもんで。すみません。

 

そんな布団is best friendな人民たちの先駆者が今回のテーマである梅崎春生です。

作品は『怠惰の美徳』(中公文庫、2018年)です。

もう、名前からして素晴らしいですね。

 

ちなみに、こちらの作品はエッセイスト荻原魚雷氏が集めた随筆集でして、『怠惰の美徳』はこちらに収録された一作品名です。

 

梅崎春生は主に小説を書いてました(これもまた白眉)が、随筆も優れており、使い古された言い方をしてしまうと、その文はユーモアとペーソスに溢れています。

 

今回のこちらの作品はその随筆集の中でも、「怠け」にまつわるものばかり集めたもの。最高。

 

ただ、当然ではありますが、ただ布団最高だぜヒャッホウ! という不毛な文ではなく、怠けながらも世界を冷静に見つめる文が綴られており、その目線は2019年現在にも通じる寂寞さや、切実さが込められているように見えます。

 

本当は全作品について書いてゆきたいのですが、I部とII部とで計35篇も収録されているので割愛して、特に書きたい作品について取り上げてゆきます。布団に潜りながらね。

 

 

・「怠けること」ことは、趣深いんです

著者梅崎は大学を卒業してから、役人として働いていました。

けれども、彼曰く「たいへん暇な役所」で、そもそも彼自身にバリバリに働いて出世しちゃおう! というスタンスなど微塵もありません。

それどころか、その舐め腐った勤務態度を上司にも気付かれており、仕事を振られないという始末。

いや、意識低すぎィ!

 

上記エピソード含め、以下I部から表題作『怠惰の美徳』より。

 

しかしわたしはこの生活は苦痛でなかった。生れつき私はじっとしているのが大好きで、せかせか動き回ることはあまり好きでない。体質的に外界からの刺戟を好まないのだ。(中略)私は来世ももちろん人間を望むけれども、どうしても人間以外の動物ということなら、やはり貝類がいい。植物ならまず蘚苔類。鉱物なら深山の滝なんかに生れ変りたい。(中略)忙しそうに見えて、実にぼんやりと怠けているところに、言うに言われぬおもむきがある。私は滝になりたい。(P.15-16)

 

噴きました。

巻末の初出一覧から算出すると、これを書いたのが32歳。すごい。

32歳が「私は滝になりたい。」とか言ってます。真顔で。名言級のぶちまけ。

 

けれども注視すべきは、ただの怠け者ではないのでは、ということ。

 

そういえば私はどちらかというと、仕事がさし迫ってくると怠け出す傾向がある。(中略)これは当然の話で、仕事があればこそ怠けるということが成立するのであって、仕事がないのに怠けるということなんかあり得ない。すなわち仕事が私を怠けさせるのだ。(P.17)

 

「すなわち仕事が私を怠けさせるのだ。」という言い切り。笑いました。

いやしかし、これは至言ですね。すごく、わかります。

学生時代のテスト前や、仕事の納期に差し迫ると途端に全てをぶん投げて、

目的もなく散歩を始めたり、部屋で踊り出したり、飲みたくもない酒の瓶を探し出したりと、非常に重なるところがあります。

そして結構、こういう方多いのではないかしらと思わずにいられません。

 

で、梅崎哲学がただの怠け者と一線を画しているのは、仕事と怠惰との関連を書いた一文でしょうか。

仕事(単なる経済活動ではなく、やるべきこと)というものがあるからこそ、怠けが発生する。

逆に言えば、何もやることがないと怠けは発生しない。

 

人にもよるかと思いますが、暇を持て余すほど切迫さがないと、

怠けようがなく、何よりそこには美学がない。美学は、余裕、とも換言できるでしょう。

 

自前で怠けている分には誰にも後指さされるいわれはない。私は自主的に怠けているのである。(P.16)

 

私自身にしても、ナマケモノといわれるより、閑人といわれる方が気持がいい。(P.17)

 

積極的怠けの推奨。そして、閑人であることの矜持。

そこには、自らを堕とすという覚悟が底にあるのでしょう。

上司にどう評価されようが、俺は怠けることを取る! という覚悟。

 

もっと突っ込むと、あくまで受動的に怠けてしまうというわけではなく、閑を取るということは己らしさを保つための美しい行為であり、その行いの善悪は趣きがあるかないか、が問題になっているようにも読めます。

 

デカダンとはまた種の異なるように読めますが、怠け、いや、閑をとるということはとにかく美学なのですね。物は言いよう。

やることがないなら自分から仕事を見つけてゆけ! という意識の高い人たちにとって、これほどイヤらしく映る「優雅な」思想はないでしょう。

 

私も積極的に見習ってゆこうと思います。はい。

 

 

・「自分を適当に揺れ動かすこと」

先述しました、ただの怠け者との違い。

おそらく、怠けていることを徹底して俯瞰できているか、あるいは、

怠けることによって何が見えてくるのかを知っていること、の二点に尽きると思います。

 

『蝙蝠の姿勢』では、標榜したいスタイルとしてコウモリやサカナを挙げています。

無為にダラけるネコではなく、風に逆らいながらぶら下がるコウモリや、潮流に逆らいながら静止するサカナ。

この例えが正に梅崎哲学の具現と言えましょう。

 

あの蝙蝠や魚は、風や水を適当な刺戟として感じながら、自らの姿勢を保ち、且つ楽しんでいるに違いありません。(P.18)

 

何か自分を脅かす存在、そしてその存在を乗り越えなければ、生き抜くことが出来ない運命。

ただ生きているつもりでも、この自分を脅かす存在というものはあらゆる局面で、必ず現れます。

そして、この存在の大きさ・形は人によって異なりますが、誰しもこの存在を通らなければ明日がないのは明白です。

 

梅崎はこの事実を形容するさい、「適当な刺戟」という言葉を用いています。

実に的確な表現だと思います。すごいです。

 

 「適当」ではなく、これが「過剰」になるとどうなるか。

それは刺戟と呼べるシロモノではなくなり、害悪・凶器になりうるでしょう。

逆に「緩慢」になるとどうか。

ほんの少しのかゆみ程度のものでしょう。

この微妙なさじ加減が人生と仕事、そして「閑」との関わり方を左右します。

 

ある程度の張りがありつつ、その張りとの向き合い方を常に模索する。

いかに自分らしく、出来るだけ緩すぎない程度に負担なく、乗り越えることができるか。

 

梅崎はきっと、終生この生き方と仕事の関わりについて対峙していたのだろうと思います。

自分の生き方と調整できるよう仕事と閑のバランスを保つ。

現代に生きる吾人にも通ずる普遍的な思想です。

 

そして、そこには「粋」が感じられると、なお良い。

梅崎風に解釈するならば「趣き」といったところでしょうか。

必死こく姿ははたから見ると美しく映ることもありますが、

あくまで本人はそんな野暮な姿はなるべく認めたくない。

 

小説を書くことは、私には苦痛です。楽しく書いたことは一度もない。僅かに残った余燼みたいなものをかきたてて、やっと燃え立たせるような具合です。そしてそれを文字にしながら、はげしい苦痛と羞恥を感じます。自分が人工的に力んでいること、嘘を書いていること、その他もろもろに対して、じっとしていられないほどの恥かしさを感じます。(P.19)

 

出来ればあそびを作って仕事にかかり、生きてゆきたい。

でないと、見えるべきものも見えないもんね。そんな意志が覗けます。

そして怠けとは、ただ漫然とぐうたらすることでないことが解ってきます。 

大事なのは、怠けと刺戟のバランスを微調整することなのです。

ただ、それがなかなか難しいところですが。

 

自分を適当に揺れ動かすこと。この適当な振幅の測定がむつかしい。そしてそれから仕事。他人はどういう具合にやっているのかしら。(P.19)

 

梅崎春生をもってしても、悩ませる問題のようですね。

 

 

・「怠けた」先に、見えるもの

ただ漫然と怠けることが「怠惰の美学」ではなく、怠けつつ「適度に揺れること」ことが美学でござろうと解ったところで、じゃあ結局何なのさ? となりますね。

 

何度か本文章で書いて参りましたが、それは「下から世界を見据えることができる」ということなんじゃないのと思います。思いました。

 

怠けることで、一旦水準から降り、そこから仕事という張り詰める線をくぐりながら、

ふと周囲を見渡してみる。

あんまりせっつかれた状況ですと、なかなか見渡すなんてこと出来ないと思いますし、何より、怠け者というタグを付けられた立場から見ると怖いものもないでしょう。

 

変に格好つける必要がないからです。

そこに残るのは生身の人のみが持つことの出来る目線です。

例えば、以下。

 

私は今でも、青春を豊かにたのしんでいる青年男女を見ると、やり切れないような羨望と共に、かすかな憎しみを感じるのである。(P.24『憂鬱な青春』)

 

もはや、○chねらーのような言説。けれど、簡単に馬鹿に出来ないのはなぜか。

正直に吐露しているからなのでしょう。

本作品では暗い青春を送ったことを包み隠さずに打ち明けています。

また、続く『世代の傷跡』でも、率直さ・正直さを謳い上げます。

 

もし現世に新しい倫理があり得るなら、人間の心の上等の部分だけでなれ合ったようなかよわい倫理でなく、人間のあらゆる可能性の上に、新しく樹立されるべきであると私は思う。私は既に日常生活に於て、私自身に対して前科数百犯の極悪人だ。だからこそ私は自分の悲願の深さを信じる。そして血まみれの掌を背中にかくして、口先ばかりで正論めいた弁舌を弄する論者や、果敢ない美をうたう詩人や、うそつきの小説家を憎む。何故皆は、現代の人間が、そして自分が、そのような位置にいることを率直に認めようとしないのだろう。認めた場所から何故始めて行かないのだろう。(P.61)

 

どうした。急にカッコいいことを言い始めたぞという。

そう、ただの「滝になりたいおじさん」なんかじゃないんです。

怠けの着地点から見つめることで、人の持つヤラシさや虚栄、脆弱さが見えてくるのです。

饒舌なペテン野郎は唾棄すべきだという思いは確かに分かります。

けれど、気付いたら自分もそうなのではないか、という不安が次第に募るのが正直なところ。

 

まだまだ、怠けの修練が足りていないのでしょう。

正直になることは「適度に」怠け、堕ちることからスタートするのです。

 

最近、よく老害という言葉にまつわる問題が取り沙汰されますが、

既に60年以上前に梅崎がこれについて斬っています。

 

それにしても、近頃の若い者に告げるが、近頃の若い者云々という中年以上の発言は、おおむね青春に対する嫉妬の裏返しの表現である。(P.70)

 

しかし現代においては、近頃の若い者を問題にするよりも、近頃の年寄を問題にする方が、本筋であると私は考える。若い者と年寄と、どちらが悪徳的であるか、どちらが人間的に低いかという問題は、それぞれの解釈で異なるだろうが、その人間的マイナスが社会に与える影響は、だんちがいに年寄のそれの方が大きい。これは言うまでもないことだ。(中略)そして現今にあっては、枢要の地位にある年寄達の中に、ろくでなしが一人もいないとは言えない。いや、言えないという程度ではなく、うようよという程度にいると言ってもいい状態である。それを放置して、何が今どきの若い者であるか。(P.71)

 

いやぁ怒ってますね。

でも、これは先の『世代の傷跡』における記述と繋がっているように解釈出来ますし、とてもよく共感します。

語弊がなきよう申し上げますが、単純に年齢的な意味合いでのお年寄りを批判しているのではなく、ある種の老獪さやヤラシさを積んだ人間のことを指しているのでしょう。

 

基本的に若い人というのは衝動や純粋な想いで行動します。(たぶん)

よく、「汚れた」という表現が使われますが、ここにハマる若い人というのは、どういう行いをしたら相手からどう評価されるかということを知ってしまった人と言えます。

 

そして、そのことを自覚して吐露するのではなく、まるで知らんぷりをしてカマトトぶって高評価に繋げようという行為に見える一抹のヤラシさが、純粋なものを咎めている構図を問題にしているのです。

 

計算されたなりふりなんて、怠け者にはお見通しだぜってことですね。

 

 

・結局、人が好きなんです

基本的に、デカダンというか、諦めから見つめる目線を持った著者なので、

熱くない人なんだなというと全くそうではないのです。

 

『一時期』という作品を読めば、その所以を知れましょう。

時は戦時中。 「怠け者」もどこかで不安定になるのは当たり前です。

梅崎の周り、みな求めるものは酒。博打。

れっきとした現役の役人でありながら、仕事をサボり、

昼間から役所の倉庫のような場所で同僚たちと博打に耽っていたといいます。

 

同時に国の情勢の変化に伴い、酒の出所も窮屈になっていったようで、

酒場には、開店のずっと前より行列が出来ていたようです。

 

この現実を少しでも紛らわすことができる二つ。

梅崎は博打を打つ人々を指して言った、友人の言葉を思い出します。

 

「誰も戦争に反対する、そんな強い気持はないんだ。(中略)潮の流れから、自分も知らないうちに、はみでてしまっただけなのさ。そのいきさつも、自分では判っていないんだ。だから、似てるんだろう。飲屋にならんでいる連中とさ。そっくりのつらつきだよ」(P.236)

 

こうして昼間から酒場の列に並ぶようになった梅崎と友人は、

同じ様な顔つきをし、酒を飲むということだけで並んでいる人たちと、

自然と世間話などしながら、彼らの表情や声つきを知ってゆくことになります。

彼らの風体を次の様に述べています。

 

身体のどこかが脱落したような、ふしぎな臭いを漠然とただよわせていて、声は酒のためか必ずしゃがれていて、(P.238)

 

そして、一度飲み終わるとまた店の外へ出て、列の最後尾につく。

これが彼ら、また、梅崎の行動であり、纏っていた風体だったそうです。

まるで、ぼんやりとしながら「本道」から逸れた道を歩まざるを得ない、とでも言える日々でしょう。

 

社会の混乱に真っ当に向き合ってなどいたら、頭がおかしくなる。

大げさに言ってしまいましたが、少しでも避けないとほんとうに、どうにかなってしまう状況だったのだと思います。

ここで述べた社会の意味するところは必ずしも、政局に限りません。

自分を取り巻く人間付き合い、あるいは属するコミュニティでもいいです。

とにかく、周りの社会がゆっくりと、「倫理的に」堕ちてゆくことが判ってしまうと、

たちまち気が触れそうになるのは、すごくよく分かります。

そして、それがゆえに酩酊を求めてしまうことも。

 

僕にはっきり判っていることは、とにかく今の時代が居心地よくないということだけであった。そういう最大公約数を皆と分ち合っていた。どうすれば居心地よくなるかということは、僕には判らなかった。(P.241)

 

(中略)生きてゆく情熱をすりかえて一点に凝集させるものを、毎日切に欲していた。それでいちばん手っとり早いのは、酩酊であった。ともすれば頭をもたげる心配をつぶす上にも、これは絶対に必要であった。(P.243)

 

けれど、ここでふと思います。

なぜ、絶望しかける→酩酊を求める という一連の流れに人は漂着するのかと。

 

答えはきっと一つで、人に対する想いが真っ直ぐだから、ということです。

何かしら仕事や自分を縛り付ける外的営為にやり切れなさを感じるも、人だけは裏切ることは出来ない。

そして、同様な目に遭う味方を抱きしめることも捨てきれない。

 

大仰に述べてしまいますが、人に対しての誠実なかなしみを向けていない人ならば、絶望などしないように思えます。

逆に言うと、人をかなしめない人は「転がってゆく」状況に際しても、そこまで動揺することがないのではないでしょうか。

 

ここで思い出したいのが、

先の項で述べた「自分を適当に揺れ動かすこと」という梅崎の言葉です。

 

人間は張り詰めすぎていると、いつか必ず破綻します。

これは仕事でも人付き合いでも何でも当てはまると思います。

漠然とした不安に対しても言えるでしょう。

不安に対して真剣に向き合うと、ちょっと大変なことになっちゃいます。

 

そこで緩和剤となるが、酩酊という、行いなのです。

酩酊という「自分を適当に揺れ動かすこと」でバランスを保つ。

現実から一時でも降りること。これが、生きたい、という想いを支える切実なことなのだと思えてなりません。

 

いつ死ぬか分からない、いつ無一文になるか分からない。

はっきり言って、皆不安です。戦時下はもとより、いつの時代も皆不安です。

こんなことを言うのもハズいですが、私だってめちゃめちゃ不安です。

だからこそ、生きるためには怠けることが必要で、たまにはちょっとだけ降りることを掲げたいのです。

 

当時の市井にはこの「自分を適当に揺れ動かすこと」を自ずと行い、

かつ互いの様相を黙認しながら、かなしみ合っていたのでしょう。

以下の梅崎の言葉が象徴しているように読めます。

 

今大急ぎであおった酒が、また列に加わっているうちに、ほのぼのと発してきて、風景は柔かくうるんでくるのだ。この時僕は始めて、自分を、人間を、深く愛していることに気がつく。それはひとつの衝動のようにやってくる。(P.244-245)

 

酒好きとして知られた著者ですが、

そこにはこういった背景があるんです。いや、完全に私論ですけれど。

でも、これで咎められても堂々とお酒が飲めますね。

「揺れ動かすために飲んでるんじゃい!」って一発かませば相手は黙るでしょうし。

いろんな意味で。

 

とにかく、梅崎春生

これほど「怠けた」先に見える世界を体得した作家はいないかと思われます。

人の蠢く内奥、人の作り出す虚栄、そして人の抱くかなしみ。

たまには、じっくりと怠けて、自分を起点として俯瞰してみるのも面白いかもしれませんね。布団の中でね。

 

あ、ちなみに、この作品集ですが、上記以外の作品も本当に全てよいです。

「怠けた」先に見える、梅崎春生のかなしみが滔々と感じられるものばかりですからね。

 

 

物語ることは、「つなぐ」こと───室生犀星『かげろうの日記遺文』

こんにちは。

 

唐突ですが、六本木、と聞くとどのようなイメージを抱かれるでしょうか。

「ギラギラ」「チャラそう」「派手で怖い人たちが多い」というバブリーな印象や、

文化施設が沢山ある」「お洒落なショップがある」というザ・都会な印象を抱かれる方が多いかと思います。

 

つい先日、ふとしたきっかけでこの街の歴史を知りまして。

今でこそ上記のような華やかで現代的なイメージがありますが、

実は江戸時代には武家屋敷が広がっていたり、毛利庭園で知られる毛利甲斐守邸では、

かの忠臣蔵赤穂浪士の面々が切腹を果たしたりという歴史があります。

 

他にも軍隊の要地となっていたり、戦争を挟んで麻布区から港区への編成があったりと、意外とその歴史は深く、生意気ながらちょっと見方が変わってしまいました。

 

「確かに、ちょっと前のようなギラついた感じも無くなった気がするし、何となく根幹は落ち着いた街っぽいもんなあ」なんて都合のいいことをすぐ思っちゃうほどには見方が変わりました。

実に調子がいいですね。

 

で、世の中には知れば面白いのに、時代の地層に埋もれていき、

そのままゆっくりと溶けていってしまうものが沢山あるんだなあなんてことを思い、

少しの寂しさを感じつつ、知ることのできた喜びを憶えた次第であります。

 

いずれにせよ、知る前と後では、見える世界が変わるのは間違いないです。

 

「つなぐ」こと。野暮な事を申し上げますが、本当に本当に大切なことです。

誰か・何かが「そこにあった事・いた事」「そこでした事」を何ものかが継承しなければ、歴史文献の一行どころか、ひとの記憶にも残りません。

 

何を言ってやがる、そんな風化されるような軽いもんは残さなくていいじゃねえか、なんてことをお思いの方もいらっしゃるでしょうけれど、私はそうは思いません。

その存在を知ることで、時代を超えて現在の誰かにとって毎日の切実な糧となったり、救いとなったりと、必ずいつの時代にも必要とされるひとやもの。

 

それらは決して軽いものではないですし、何ものもが大事だと大真面目に思ってます。

 

けれども、情報が氾濫している現代だと、いとも簡単に忘れられてしまうでしょう。

情報一つの価値が定量的に軽んじられているきらいもありますし、そもそもそんな重いこと何言ってんだお前きっしょいわ、みたいな空気もそこはかとなく感じます。

 

ですから、「つなぐ」ことは、切実な想いでもって取り掛からないと、至らないなとも思います。

 

さて、のっけから暑苦しい事を申し上げて恐縮ですが、

今回は、そんな「つなぐ」ことを書いた作品について記します。

室生犀星の『かげろうの日記遺文』(講談社文芸文庫)です。

(初版 第4刷。以下、便宜上『かげろう』と表記します)

 

室生犀星は個人的にとても思い入れのある作家なのですが、

お恥ずかしいことに本作は今頃になって読みました。

 

そして、驚嘆しました。

犀星印の美文はもとより、文学に対するあまりに本質的な魅力があったからです。

 

「書く」こと、「物語る」ことそして、それらが「つなぐこと」であること。

「つなぐこと」で過去を知り、現在を通過し、未来の血や骨と成す。

 

この一見、当たり前だと思われることの深奥を作中人物が作中で「書き」示し、

かつその人物を犀星自身が「書く」ことで示しているのです。

 

さて、抽象的になってきたので、これから掘り下げようと思います。

 

 

・『蜻蛉日記』という過去

本作はタイトルの通り、『蜻蛉日記』がベースになっています。

作者は藤原道綱母です。平安を代表する日記文学として有名ですね。

 

日記文学と言ってもエッセイというより、著者の告白や思想を反映した記述が多いため、自伝という風に捉えられるそうです。

(お恥ずかしながら、『蜻蛉日記』はこれを書いている時点でようやく読み始めたので、とりあえず紹介されている文句を受け売っています。あるまじき愚行です、猛省……!)

 

基本的に著者(藤原道綱の母)が、夫である藤原兼家への愛憎を書き連ねているのですが、何と言っても時は平安、地位がある野郎どもはおしなべてプレイボーイです。

特にこの兼家は愛する女性が出産をしたら、すぐに他の女性の元へ行くという、現代で考えると下衆の極みとしか思えない行動力を発揮していたようです。

 

ちなみに、その辺りの行動は『かげろう』にも書かれていますが、もちろん犀星の魔術により葛藤という素敵な逃げ道を与えられています。

なので、ただ単純な下衆野郎としては書かれていないです。と、フォローします。念のため。

あと、時代によって結婚観も違うしね。念のため。

 

で、道綱母も例外でなく、子・道綱を出産すると、すぐに兼家は家を飛び出します。

いくら時代が他の女性との関係を容認していようと、やはり傷付きますし、悲しみます。

才女と呼ばれた道綱母も人の子ですから、クールに装っても悲しみの先には想いの分だけ、憎しみも生じます。

それで、夫のプレイボーイ兼家がなかなかうちへ帰らぬことを日記の中で嘆きます。

 

また、彼の愛する他の女性に対しても矛先を向けており、

何の地位もない町の小路の女性についても容赦なく記述しています。

 

そんな『蜻蛉日記』では数行ほどしか記されていない町の小路の女が、

『かげろう』ではメインの人物となりスポットを当てられています。

 

そう、彼女らの織りなす「過去」の奥行きには、陽の目の当たらないひとの存在が確実に存在しているのです。

それを犀星は掘り上げて、「物語る」ことを始めました。

 

 

・「書く」ことで自己を自己たらしめる

 

本作には、以下の人物が主に登場します。

・紫苑の上…主人公の一人。美貌のみならず、文才や教養にも恵まれるが、男性をあまりよく分かっていない。『蜻蛉日記』の藤原道綱母にあたる人物。

・冴野…主人公の一人。美貌に溢れながら、世の中や人というものに通じている。教養はあまりない。『蜻蛉日記』の町の小路の女にあたる。

・兼家…藤原兼家。基本的に冴野にまっしぐらだが、複数の女性を行き来するプレイボーイ野郎。なお、地位的には割と偉いひと。

・時姫…兼家の正妻。兼家を巡る嫉妬や憎悪を露骨に表す描写が多い。登場回数は少ない。

 

ざっくりとした筋は、以下のようなものです。

 

才色兼備な紫苑の上が、兼家と一緒になるが、

息子・道綱を生んだ途端に兼家が町の小路の邸に通うようになり、その女性へ嫉妬に近い感情を抱くようになる。

また、そこで初めて自分が知らないもの=男性のことや人と人の対峙から生じる揺らぎ を覚える。

一方で、兼家は冴野という町の小路の女の元に通い続ける内に、彼女を通じて正直にものを言うということの魅力を知るようになる。

そんな逢瀬が続き、紫苑の上は初めに見せなかった焦りや諦めを呈するようになる中、冴野と兼家の子の亡骸を抱いた冴野の突然の訪問を受ける。

そこで、冴野は図らずも紫苑の上に多大な影響を与えつつ、兼家からの訪問を変わらず受けていたが、突如、時姫から去るよう命じられる。

身を引くことをやむなく選び、冴野は何処かへ姿をくらましてしまう。

このことにすっかり消沈した兼家だったが、紫苑の上との生活に徐々に平和に価値を見出していた。

しかし、最後に冴野が兼家夫妻の前に姿を現わす。まさに青天の霹靂であった。

超然としていた冴野が、未だかつて見たことのない主張、つまり私を選んでくれという主張を紫苑の上と繰り広げる修羅場を展開する。

そこで選択を迫られた兼家は自らが去ることを選ぶ。彼を見つめる二人の女性。

と、その刹那、兼家は目を覚まし、側にいる紫苑の上を確認する。

彼が見たもの、いや、読者が見たものは「かげろう」だったのだろうか。

 

という。

筋だけ追うと、どんだけドロドロしてんのよってなりますが、登場人物の織りなす人間模様、特に冴野を通じた紫苑の上の変化こそ、この作品の本意なのではないかと思えてなりません。

 

紫苑の上は、本作序盤より、自己の輪郭を明確にすることに苦心していました。

そして、輪郭を削る手段として「書く」ことを早い段階から選択していました。

18歳の彼女の、書くことに対する想いが以下のように記されています。

 

  書くということは心のままになることであり、書かれたことに対うことの親しさは、自分という者のありかを確かりと掴まえられる気になることであった。(中略)書くということの嬉しさの果に紫苑は生きる自分を見ることに、疑いを持たなくなった。彼女は自分にいい聞かせてみた。何でもない事共でも書き溜めて、昨日がなにの為にあったか。明日はまた何のよすがで訪ずれるかを、薄葉のうえに述べてみたかった。薄葉はおちついて落筆を待ち、落筆は昨日よりも多くを尋ねるのである。物を書こうとする私よ、いままで何処かにかくれていてふいに私に溜ったものを、すくい上げようとして来てくれたあたらしい私、私はそなたを托み、そなたは私をかい抱いてくれるようにと、紫苑は自分を掴んだ。(P.11)

 

この書くことにより自己を解剖し、探求してゆく底には、「一さい生きることの目標をはっきり見定めたい気持のいら立たしさ(P.10)」がありました。

 

日常にて感じたこと、兼家を通じて感じたこと、自身の心象風景を書くことで表し、自己と世の中の距離を測っていたとも換言できるでしょう。

 

そんなこんなで書き書きしてゆく中、

兼家との間に子供・道綱が誕生します。

やったね! たまごクラブ・ひよこクラブ買っちゃおうぜ! と本来ならば幸せに溢れる新婚生活が待っているかのように思われますが、怜悧な紫苑の上は素直に喜べませんでした。

 

 赤ん坊を見ていると、それの生れて来たことが恐ろしかった。人間のなかの女というものがこれを繰り返して、最初のふしぎな思いがしだいに普通のことがらになる、誰もみな女が子供をそだてることに不思議は感じていない、紫苑の上もまたそのように、ありきたりの思いになるのだろうと思うた。そこにもはや悩みやらあがきはなかった。何という変り方であろう、私はもうただの女に引き据えられ、それは女というお乞食さんと同じみじめさであった。(P.44)

 

つまり、一時の幸福も日常に擦れてゆき、それはただの女であることの永遠だ、と達観とも思える境地に達してしまっているのです。

ちなみに、この時19歳くらいです。いや、すげえなおい。

 

この出産は彼女にとって上記のような大きな気付きを与えながら、「書く」ことへの想いを強めていきます。

 

 ただ、その生きる毎日を克明に記すことによって、女というものの位を知らねばならぬ、書くことの外にいまの私に位はない筈である。紫苑の上は一日ずつを細かに書くことだけは、怠らずにつとめた。

 虫の音の事、夫という名をもつ男の事、奥羽下りの父倫寧はどうしていられるだろうという事、歌の事、文の事、母として生きる事、……(P.44-45)

 

 

そんな紫苑の上を横目に、兼家は子が出来てから、ほかの女性の元へ通うようになってしまいます。

 

紫苑の上は、兼家が冴野に送っているラブレターを見つけてしまうのです。あちゃー。

さすがにクール女子である紫苑の上も動揺します。当たり前です。

 

 紫苑の上は手も指も顫え、息はみだれて来た、時姫様があられた上、私という女がいるのに、また、別の一人の女が現れて来たのである。三つの黒髪がそれぞれ嶮しく聳えて見え、その真中にいる私という黒髪のつやは、道綱が生れてから、つやを失うて来たのか、紫苑の上は併し認める文だけには、自分を失わずにつとめた。(P.45)

 

ここでも、「書く」ことには態度を変えないよう努めています。

この辺りから兼家が家を空ける日が続いてゆき、あえて兼家を「賑やかに見やった」り、侍女を彼に尾けさせたりしてゆき、さみしい日を送るようになります。

 

 ここまで来ると何の修正も、むだな気がし、そして趁い詰められている処は、世上にありふれた妬みと悩みしかなかった。しかも、これら二つのものを上品振って上から見下ろしている訳にも行かないとしたら、その渦の中に捲きこまれて居なければならぬ。私はいまこの中にいるのだ。不倖というものは私を避けて通ることを、遠い幼ない日にそう信じてみたものだが、それは全く酷いくいちがいをいまの私に与えた。(P.47-48)

 

もうはっきりと、不倖だ、とぶちまけています。

兼家め、あんた罪なやつだぜマジで。

 

 

・孤独を抱きしめた女性、冴野

 

兼家はこうして冴野の魅力から抗えなくなり、紫苑の上どころか、正妻・時姫の元にもあまり寄り付かなくなりました。

珍しく時姫の元に戻れば、すぐに冴野の話。

 

 兼家は決して素性の悪い女どころか、女という自分自身をあの位確かりと考え込んでいる人を、私はいままでに見たことがないと言い、貧しさという事がどんなに厳しく人間を作り変えているかが、よく解るといい、彼女のいままでに生きて覚えたことが、一々意味ふかく平常の動作にあらわれているとも言った。紫苑の上や時姫にない人間としての値さえ、別様に私は考えていると兼家は物語った。(P.74)

 

いや、これもスゴイ話だなと思います。

よく面と向かって、妻に向かって他の女性の話を悪びれずに言えるの、という。

もはや兼家って天然なのではと疑いたくなるほどです。

けれども、冴野はそう自ずと口にしたくなってしまう程の人物だったのでしょう。 

 

物語が急展開するのは、その冴野の持つ凄味が兼家の前だけではなく、

紫苑の上の前にも開かれる場面からです。

第六章が始まっていきなり、冴野と兼家の間の子が死産したことが明かされます。

 

紫苑の上はその事を、使いの者からの便りで知り、「顔色は変わった。」

「単なる冴野の子供であるよりも、もっと大きく漠然とした人間それみずからの死の驚き(P.91)」を覚えつつ、「悲しみとは反対に、次の瞬間では何処かでかたがついた、生きられてたまるものかというちいさい叫び声があがった。(P.91)」 

 

先程、子・道綱を生んだときの紫苑の上の様子を達観という形容で表しましたが、

やはり、嫉妬を覚えているのです。人間ですからね。

怜悧な紫苑の上ですけれど、彼女の未熟な部分がここで如実に現出しているのです。

 

そんな彼女の前にふわりと冴野は現れます。

しかも、我が子の亡骸を抱きながら。

 

兼家に相手のされない紫苑の上や時姫には死産した子がいない。

かたや、兼家を虜にしている冴野の子は死産。

冴野はこうした皮肉な運命を引き受けながら、兼家に愛される事から逃げる事で、

むしろ自分を含めた女性三人が不幸せに落ちるだろうから、受けるものは受けさせて欲しい、そして、その事をどうか心に止めて欲しい、と毅然として紫苑の上に言い放ちます。

 

冴野のあまりの率直さに紫苑の上は以下のように衝撃を受けていました。

 

 冴野の大胆な言い分には、少しも嘘がない誠実があった。そしてこういう立派な真正面から物をいう女と話したことが、今までに一度もなかったのだ。女というものがこんなにも怖れずに立つということが、紫苑の上のどこかを握り締め、そのため、すぐに言葉を毟ぎ取られて了った気がしたのだ。(P.94)

 

冴野は、どんな時・状況でも必ず別れが在るということを見据えている女性でもありました。

また、必然的な別離というものをしみったれた思いではなく、元々生まれつき備わっていたかのように自然と考えていました。

以下は、紫苑の上から兼家と別れる気があるかと問われたときの冴野の返事です。

 

 「(略)逢うことはお別れすることの初めであり、お別れするためにお逢い申し上げていたようなものでございます。僅かな時間のあいだにもお別れしなければならないことを、始終考えてまいりました。」(P.95)

 

冴野のこの超然とした人格に、紫苑の上は自分にないものを感じ取ります。

凛とした諦念、相手の立場などを度外視した率直さ(かと言って、横柄というわけではもちろんなく)、あざとく物事の裏に潜む利益を望むという不潔さを排する純真さ。

これらに紫苑の上も心を動かされ、「本当のことを言うこと」の強度を覚え始めます。

 

「(略)私にはこのごろ裸の女のはげしさがあるばかりなんです。」(P.96)

 

「それは身分のある女の口にすべき言葉ではないのですが、あなたとお話しているとこういう恐ろしい言葉が、平気でいえるようになるのです。あなたは私の学んだものを一枚ずつ剥いでいらっしゃる……それは、あなたは本当のことを仰有っていらっしゃるからです。」(P.96)

 

本音を言うこと。

これは決してズバズバと相手を傷つけることを言うというわけではありません。

自分はこう思っている、ということを偽りのない気持ちで相手に伝えることです。

至極当然ですけれど、本音を言わないと最後のところで人間は分かり合えないのではないでしょうか。

 

紫苑の上は、冴野の存在を意識するうちに「裸の女」になっていったのです。

 

では、冴野はなぜそんなに本音を言うことに躊躇いがないのか。

なぜ、本音を言う姿に驕りを感じさせないのか。

それは、彼女が自分を徹底的に知っていることに起因しているのではないでしょうか。

以下は、冴野から紫苑の上へ語られた言葉です。

 

「(略)名もない女はしまいには退がらなければなりませんし、嫉妬めいたことも控えがちにしなければ、殿にお縋りすることも出来ようはございません。それに、わたくしはもう若くはございません、ただ、哀しいことには女のからだをそなえて居ります。女が女のからだを持っているということにお考え及んだことが、紫苑の上様、あなた様にございましたか。」(P.97)

 

ここまで自己を透徹して俯瞰できるのは、あまりに彼女が孤独だからなのでしょう。

欲することを許されない立場・状況。また、それを理解して貰える人の不在。

この孤独さが彼女を客体として彼女自身を見つめさせているのだと思います。

 

孤独を抱きしめた女性、冴野を紫苑の上をしてこう表しています。

 

「(略)平安の世の奢りをみんな捨てて生きておられるお方。」(P.105)

 

 

・「裸に」なること=筆に清水を流すこと

 

さて、ここまで作中人物のやり取りから人間像を見てきましたが、

この項では彼らが発する「物語ることのメタ・メッセージ」を見ていこうと思います。

 

どういうことかと言うと、作中人物自身が、自分たちが「物語られる存在である」ことを認識しており、それを作者・犀星の手を通じて読者へ「物語る」ことの本意を伝えようとしているのでは? という少し強引な提起を見ていこうぜということです。はい。

 

ますます何言ってんのこいつってなってきそうなので、早速引用。

兼家に取る態度を紫苑の上に伝えてから初めて兼家と会ったときの冴野と、兼家との会話です。

 

「だが、そなたが紫苑の上に教えにくい事をおしえたということに、私はきつく驚いている。あの女は父倫寧の外には、誰のいうことにもおしえられはしなかった。」

「殿からも。」

「私は一介の男という生き物にすぎないが、紫苑の上は生きた日の数を記すことで、もう一編生きかえっている女なのですよ、兼家の恐れも、そこにある。」

「殿も、お書きになったらいかがでしょうか。」

「私に本物の歌をよませたら、そなたばかりを詠んでうたうだろう、私はそれをも恐れているのだ、そなたが私の中に滅びてもよいというが、私の多くの歌も、そなたの中に滅びて消えているようなものだ。」

「ふたりのなかはお互に消えこんでいますね。」

「名もない二人の情事は記されることもなく、失くなってもいいではないか。」(P.116)

 

いや、ガッツリ記されとるやないかーい! と言いたくなりますが、

まさにこのラストの兼家の発言こそメタ・メッセージです。

厳密に言うと、「生きた日の数を記すことで、もう一編生きかえっている」紫苑の上の取る行動こそ、「書く」ことで自分を客観視し、日常を息吹を与えて物語り、後世へ「つなぐ」ことと言えましょう。

 

いずれにせよ、ここで着眼したいのが、

本来、書かれるべきでない、いや、書き漏れていた出来事(事実でなくても)を空想し、物語ることで、その時代の空間に捨てられた人や言葉に可能性を与えることが、書き物という世界では可能である、ということなのです。

 

室生犀星は詩歌や小説で扱う言葉の壮麗さはもとより、創作という行為そのものに巧みに仕掛けてゆく技巧をも持ち合わせていたことが分かります。

おそらく、犀星がものを書くということのある種の畏怖を感じていただろうことを、兼家の口を通じて発見することができます。

 

「文学という奴は大した奴だ、これほどの私は紫苑の上の考える仕事を壊そうとしても、到底、壊しきれる物ではない、紫苑の上自身が抹殺しないかぎり、数々の和歌はもはや人間のちからでは削除することの出来ない、言わばすでに天上の物でさえある。私はこのような女と暮らすことに不倖を感じている、物を書く人の恐ろしさ、そんな不必要な恐ろしい物を抱いていて、人間に憩らいがあると思うか、(略)」(P.159)

 

ここで書かれたことは、自分の行いが他者によって記されることの恐怖、あるいは、その他者が見つめた世界を物語られる恐怖、といった世俗的な恐れではなく、

もはや、人知の及ばない何ものかが筆を持たせ、作品を遺すという行為そのものに対する畏敬なのではないかと思えてなりません。

ありきたりな言い方になってしまいますが、芸術讃美のようでしょう。 

 

それと同時に、物を書くことの方向性を誤ると、惨めさを残してしまうのみ、という真理を紫苑の上を通じて伝えてきます。

場面は物語終盤。この町を去る直前に冴野が紫苑の上に物品を返却すると同時に封じた手紙を、紫苑の上が読むシーン。

 

ただものではなかった女が終りに見せた心の美しさに至っては、紫苑の上がこれらの品々にさえ心を留めていたことで、いまさらに羞かしいものがあった。斯様に少しの乱れを見せない一人のなまの女の心と、そして私自身が叡智や歌や文を練って何人にも怖れないとしていたことが、冴野の前ではみじめに粉砕されているではないか、紫苑の上はついにひとりで呟やいて言った。(P.161) 

 

紫苑の上は、自分を不動・堅牢にしていたと思っていた教養や文才は、「裸の」人間に前では何の盾にもならなかったことに気付きます。

一人の孤独、それはただの人肌恋しさや、プライドに応えてもらえないことへの悔しさから来るものではなく、一切を手放した境地で掴むことのできる徹底した自己認識から来るものなのでしょう。

そして、その境地には「裸に」なることでようやく立つことができましょう。

この清々しさすら感じさせる孤独こそ、先述した人知の及ばない創造のエンジンとなっているようにも思います。

 

覚醒した紫苑の上は、「裸に」なるという、ようやく自分が生きるために必要な核心を見つけることが出来ました。

 

嘗て冴野は殿への愛情をとりいれるために、はだかになれと言ったが、その言葉は単なる裸になるための情痴の世界にばかりある、それだけではなかったのだ、いま紫苑の上自身がなまの女として立ちあがっている、そのはだかを意味しているものだった。(P.163)

 

ただただ「書く」のみならず、虚飾や顕示欲、愛されたいという我欲を放擲した世界で「書く」という新世界を知ったのでしょう。

 

 

・史実からこぼれ落ちた石に、新たな価値・輝きを与えること

 

物語ラスト。

冴野が言動を変貌させたのは紫苑の上だけではありませんでした。

そう、プレイボーイ野郎兼家をも動かしたのです。

 

冴野を失った兼家はすっかり意気消沈していながら、今度はまた違う女性の元へ出かけるようになっており、相変わらずな素敵っぷりを展開して見せてくれていた矢先、

いなくなったと思われる冴野が、現れます。

それも、紫苑の上と寝ているときに。

 

私を取るの、それともあっちを取るの、と地獄絵図のような場面になるクライマックスですが、結果はあっさりとしており、兼家は自分が去る、と決断します。

今まで無頼に女の肉体と精神の拠り所を求め続けていた男が、自らの意思を選んだのです。

 

ここまでの描写で感覚の赴くままに情念に従って行動していたことが目立つ彼に、

このような「見据え」を感じさせる意思を表すことはあまりなかったように思えます。

「裸に」なるという、冴野の通念と、それが触媒となり才気をさらに光らせた紫苑の上の叡智が彼をそうさせたのではないでしょうか。

 

ここまで来ると、ふと思います。

散々ネタキャラのように扱ってしまっていた兼家ですが、実は最も私=読者に近いのが彼なのではないか、と。

 

優柔不断でありながら、自己の世界を遺されることを恐れ、

かつ、芸術の持つ人知の及ばぬ神聖に畏怖を感じる、という。

 

また一方で、犀星によるあとがきを読むと、彼自身が兼家に投影されていたのではないか、とも思えます。

蜻蛉日記』では、わずか数十行でしか生かされていない冴野に犀星が興味を抱いた理由が、兼家が冴野に興味を持ったことと似ているように読み取れるからです。

出自こそ兼家と犀星は丸切り違いますが、一人の「裸の」人間へのあこがれが引きつけたと述べています。

 

恐らく気高いとか傲りとか、学や慧智のかがやきの間に失われているもので、人間にじかに要るものが無邪気に用意されていて、兼家の眼は驚きと喜びとでそれらを迎え入れていたからであろう。素性卑しい女と断じている蜉蝣の日記の筆者のにくしみには、やはり及ばぬなまの女のつやつやしさに、一人で考え耽っている折には所謂かなわぬものを覚えさせたものに思われる。(P.212)

 

この犀星と兼家が冴野に向ける眼差しは、読者にも共有しうるものなのではないかと思えます。

即物的なものに限界があるということ。「裸の」人間の性質にこそ栄光があるということ。

また、冴野へのあこがれ・畏怖は、犀星が過去という広大な道の端っこに転がっていた石を拾い上げ、新たな価値を与えさせました。

 

道綱母の苦痛も、私にはあまりに判り過ぎていたが、平安朝の丈高い叢を掻き分けて見るには、墓所さえ失っていた町の小路の女の、みじかい生涯を見つめる私の眼は決して離れようとしなかった。私はすべて淪落の人を人生から贔屓にし、そして私はたくさんの名もない女から、若い頃のすくいを貰った。学問や慧智のある女は一人として私の味方でも友達でもなかった。碌に文字を書けないような智恵のない眼の女、何処でどう死に果てたか判らないような馬鹿みたいな女、そういう人がこの「蜻蛉の日記」の執筆中に、机の向う側に坐って笑う事も話をする事もなく、現われては朦朧たる姿を消して去った。私を教えた者はこれらの人々の無飾の純粋であり、私の今日の仕事のたすけとなった人々もこれらの人達の呼吸のあたたかさであった。私が時を隔てて町の小路の女の中の、幾らかでも栄えのある生涯の記述をすすめたのも、みな、この昔のすくいを書き留めたい永い願いからであった。(P.211)

 

この犀星の言葉を目にすると、文学っていいなぁとつくづく思いますね。

思わず、溜め息が出ちゃいます。

 

持論になってしまうのですが、私は文学は弱者のためのものだと信じています。

それは社会的・肉体的・精神的など色んな層での弱者です。

あるいは、強者である方の中に潜む弱者としての自己。

彼らに寄り添うものが文学である、とこれは揺るぎない想いで存在しています。

 

同時に、時代を越境できることが文学の強みです。

過去のひとやこと、彼らの記憶を取り出して、現在に書き蘇らせる。

それは、場合によってはゴテゴテしたり、シャパシャパしたり、と必ずしも輝いたものに至らないこともあるでしょう。

 

けれども、たゆまなく試み続けることで記憶をつなぎとめることができる。

そのように信じて止みません。

紫苑の上が、藤原道綱母が惑いながら、とにかく「書き」続けたように、

そして犀星が「書き」続けたように。

 

そう、紫苑の上や兼家に新たな価値観を植えつけた冴野の姿は、

歴史の裏場でひっそりと生涯を過ごしたこの女性を通じて、新たな輝きを与えてくれている犀星そのものにも映るのです。

ある種の霊力と言っても言い過ぎではない存在が、この作品を完成させています。

 

最後に犀星自身の言葉を引用して終わろうと思います。

 

われわれは何時も面白半分に物語を書いているのではない。殊に私自身は何時も生母にあくがれを持ち、機会を捉えては生母を知ろうとし、その人を物語ることをわすれないでいるからだ。われわれは誰をどのように書いても、その誰かに何時も会い、その人と話をしている必要があったからだ。他の誰でもない場合もあるが、つねにわれわれの生きている謝意は勿論、名もない人に名といのちを与えて、今一度生きることを、仕事の上で何時もつながって誓っている者である。でたらめの骨髄に本物が些んの少しばかり生き、それを捜ることに昼夜のわかちなく続けて書いていると、言っていいのであろう。(P.214)

 

ホメロスしかり、琵琶法師しかり、犀星しかり。

そして、いつの時代にも存在する名もなき紹介者しかり。

 

物語ることは、「つなぐ」ことなのです。

「上京」の何たるか、ここに極まれり───夏目漱石『三四郎』

こんにちは。

もう、すっかりと春ですね。

 

ふわふわとした空気に陶酔感や高揚感がありながら、身辺の変化が激しい不思議な季節ですが、お好きでしょうか。

今年、花粉症デビューしたっぽい私は、春に対する苦手ポイントが増えてしまいました……。

 

さて、そんな春と言えば、進学や就職、転勤といった出来事がつきものですが、

一冊目は上京に関わる作品を。

 

漱石先生の名著『三四郎』です。はい、今更です。

 

あらすじは、もう散々出尽くしていますが、一応。

きわめて平たく述べてしまうと、

主人公・小川三四郎という青年が福岡から上京し、片思いをしていた女性にフラれる、というものです。

 

しかし、やはり大文豪・夏目漱石

筋の中に散りばめられた、一見すると何気ない場面や、その小さな場面での登場人物たちの言動が、人間や日本という国、あるいは、「社会」というものの内奥をつぶさに表しています。

 

なので、今回は、始まりから終わりの時系列になるべく沿って、

気になった箇所をピックアップしながら、自分なりに考察していければと思います。

 

※ なお、岩波文庫第79刷のものを通じて書いてゆきます。

 途中で表示するページ数は上記版における同ページを指しています。

 

 

 

・「上京小説」としての三四郎

 

さて、前置きが長くなり、大変恐縮ですが、

この作品は、「上京小説」とでも言うべき要素がぎっしりと詰まっています。

 

ここで上京と言うのは、距離・段階といった物理的な意味での上京はもちろん、

人間として「都会的」なクセや対人関係に直面するという意味での上京も含んで、こう呼びました。

 

どういうことかと言うと、

まず、「東京=近代化された社会=自我が不自然に膨張した世界」という(無理矢理な)置き換えをします。

すると、「三四郎=近代化される以前の世界を体現した人物」という(これまた無理矢理な)置き換えが可能であり、「上京」が意味するところは、「近代化した日本における自我」を知る、あるいは獲得するということを意味するんじゃねえ?というのが、私なりの拙い考察でございます。

 

ただし、これがやはり漱石先生ですし、いわゆる「行間を読ませる」文学というもので、ストーリーうんぬんではなく、登場人物の細かい所作から人間の姿や、どのような気持ちをもって人と関わるのか、

あるいはコミュニケーションを図るのかということが、前述した通りエグいくらい描かれております。

 

まず、全編を通じて目立つのが、

三四郎視点からの「頗る平凡」な会話と、

「しばらくの間はまた環境(注:作中では「汽車」)の音だけになってしまう」状況。

 

つまり、なんの緩急もない面白くない会話しか出来ず、かつ、

その状況に対して「ヤベぇ、なにも広がらねえ……気まずい」という描写です。

 

三四郎は、物語冒頭において、

東京へ向かう汽車と接続するために名古屋まで向かう車中、ある婦人と同席します。

 

上に挙げた、「頗る平凡」な会話と「汽車の音だけになってしまう」状況は、

この作品の冒頭にあたる、この汽車の中で繰り広げられます。

 

で、これ、よくあるかと思います。

突然、何を言い出すのかという話ですが、本当にあるんだなあ、それが。という感じで。

 

職場、学校、親戚の集まり…。

あらゆる「社会」を形成しているシーンでは、この間の持たせられぬ空気がほぼ必ず存在し、また、その「間の無い空気」というものに対して、

気まずいことこの上ないという感情を持つ人が、多くいらっしゃるのではないでしょうか。

 

しかも、その気まずさを払拭できる、気の利いた何か、

いや、別に気の利いた言葉でなくてもいい、その沈殿した空気に穴を開けられる他愛ない会話を振ることができないこと。

 

そして、その振ることができない自分を俯瞰して見つめている自分が、自らにツッコミを入れるという、自意識過剰兼コミュ障だ、と自虐的な方、多い気がしてなりません。

(少なくとも、私自身もそうです…)

 

で、この三四郎で描かれる、その沈殿した空気の処理方法に戸惑うという状況は、

あえて乱暴な言い方をしてしまい恐縮ですが、

「いやいや、そんなのいちいち気にしてたら何にも出来ないじゃん! もっとコミュニケーション積極的に取れよ!な!!?」という、

「世の中の人間は全て自分のようにアゲアゲに関わり合えるなどといった、少々想像力の欠いたウェイ系の方」には、なかなか理解しづらいかと思います。

 

あくまで、漱石先生のまなざしは、

「気を遣いすぎてしまう」多くの日本人らしい日本人に優しく注がれているのだと思えてなりません。

 

彼の目線に映った世界は、この作品で余すことなく描かれており、

また、その状況に出会うということも、三四郎にとっての「上京」と言えるのではないでしょうか。

 

話を戻します。

三四郎は、その後、名古屋で下車し、その気はなかったのに人妻のお願いで宿まで案内することになり、

その気はなかったのに、女中さんの手違いで同じ部屋に泊まらされる状況になります。

 

挙げ句の果てには、この人妻に同じ風呂に入ってこられる未遂や、同じ布団で寝る未遂など、

ちょっとマジかよグヘヘ、というシチュエーションが連続するわけですが、三四郎はことごとく全てを断ります。

まるで、女性という存在を忌避するごとく。

 

そして、一夜を何事もなく過ごした三四郎は、別れ際の駅でこの人妻に、残酷な言葉を投げかけられます。

 

「あなたはよっぽど度胸のない方ですね」(P.15)

 

ああ、三四郎、涙目。

もうね、これは消えたくなりますね。こんなこと言われたら。

据え膳食わねば何たらと言いますが、ここまでストレートに言われるとは。

 

また、この後の三四郎の様相がひたすらウブなそれであり、

 

 三四郎はプラットフォームの上へ弾き出されたような心持がした。車の中へ這入ったら両方の耳が一層熱り出した。しばらくは擬っと小さくなっていた。(P.15) 

 

と、あります。

 

続いて、なんとなくきまりが悪くなったということで、ろくに読めもしないフランシス・ベーコンの論文をただ開き、目だけ文章を追いながら、頭の中では昨夜のことをグルグルと考える……。

 

完全にやっちまった展開ですね。

私が人のことをウブだとか、色々馬鹿にできる立場では全然ありませんが、あまりに可哀想な状況です。

 

と、この後三四郎は汽車に揺れて東京へ向かうわけですが、面白い点として、

他の乗客である髭の生えたおじさん(先生と呼ばれるひとであることが後に判明)とのやりとりがあります。

 

女性とのやりとりに関してウブな自分に地団駄を踏んでいた矢先でしたが、

いやいや、俺には輝かしい未来があるんやでえ!と都合よく妄想をし、

たちまちゴキゲンになった三四郎は、あろうことか近くにいた、この髭の生えたおじさんを見下し始めます。なんという軽薄さ……。

 

しかし、ふとした流れで水蜜桃(厳密には桃とは違うらしいです)を一緒に食べることになり、三四郎はそこからおじさんとの会話が弾みます。

が、しばらくすると、あろうことか三四郎はおじさんの話に少し飽きてしまいます。

 

途中、一瞬だけおじさんの口から正岡子規の話が出るのですが、

おじさんの話に退屈していた三四郎はそこだけ「興味があるような気がした」のです。

 

夏目漱石正岡子規はとても親密だったといいます。

いわゆるマブダチというやつですね。

なにしろ、「漱石」という号は元々、子規のもので、それを譲り受けたくらいだそう。

 

そんな間柄であることも起因してるでしょうが、

この登場人物内の会話の中でサラッと実際の友人のことを持ち出してページを割くということは、よほど子規と仲良しだったんですね。美しいです。

 

 

 

三四郎が感じた孤独

 

さて、三四郎は、まもなく東京へ到着します。

そして、到着直後に母から、野々宮くんという人の元へ行ってみなさいと連絡をもらいます。

 

野々宮くんは、東大理学部の学生で、ひっそりと一人で「活きた世の中と関係のない」場所、いや、場所どころか、世界を舞台にひたすら研究を続けている、将来を嘱望された青年です。

 

三四郎は、現代文明を象徴する東京のめまぐるしい環境を一身に浴びながら、

一方でそのような環境に背を向けるような生活をしている野々宮くんを訪ねたのち、

一人で三四郎池をぼんやりと眺めていると、ふとこう感じました。

 

 三四郎が擬として池の面を見詰めていると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、そのまたそこに青い空が見える。三四郎はこの時電車よりも、東京都よりも、日本よりも、遠くかつ遥な心持がした。しかししばらくすると、その心持ちのうちに薄雲のような淋しさが一面に広がって来た。そうして、野々宮君の穴倉に這入って、たった一人で坐っているかと思われるほどな寂寞を覚えた。熊本の高等学校にいる時分もこれより静な龍田山に上ったり、月見草ばかり生えている運動場に寢(引用者注:正しくは、ウ冠の右下箇所が「未」。以下同字同様)たりして、全く世の中を忘れた気になった事は幾度となくある、けれどもこの孤独の感じは今始めて起った。(P.30)

 

すみません。ちょっとここで、私事をば。

ちょうど、本作を読み直していた頃、私は秋田県に滞在していました。

 

偶然ですが、三四郎は福岡から東京へ来て、孤独を感じている。

私は、東京で仕事をしていましたが、訳あって辞め、秋田へ来て、孤独を感じている。

 

もちろん、三四郎のパターンとは場所こそ異なりますし、何より年齢や状況も異なりますが、やはりふだん自分が浸かっている世界と、使用している「言語」(ここでは単に言葉としての意味でなく、広義での言語、換言するとコードとしての言語)とで、丸切り違う環境に来ると、孤独を感じてしまいます。

 

また、私はここでは、知己がおりませんでした。

もっとも三四郎は、このシーンのあと、佐々木与次郎という気のいいあんちゃんと付き合うようになりますが。

 

実際、職場の仲間や地元の方々と会話をしたり、共に酒を飲んだり、そのまま勢いで音楽を作ったりという、楽しいことをして過ごしていましたが、気が付くとひとりの時間が割合多かったような気がします。

 

すると、考えても仕様がない思念がむくむくと湧いて出たりします。

ひとりでいたり、何かに忙殺されていないと、思っても仕様がないことがすぐに湧出するのが人の業ですね……。

「殆ど堪えがたいほどの静かさ」の中で、三四郎も私も、そして生活の場を変えた人たちみんな、暮らしているわけです。

 

と、この作品を読んだら、たまらなく共感を覚えるよね!という主張をしたいがために、この話をしてしまったのですが、そろそろ作品に戻ります。

 

しばらくして東京の景色にも慣れ始め、講義をサボることを覚えたり、

与次郎という友人を得たりした三四郎は、自分をとりまく世界が以下の三つ存在することに気付きます。

 

  • 1つ目の世界

 1つ目は、家族や、旧知の人たちといった、故郷と関係する世界です。

 以下の文にてまとめられています。

 

 一つは遠くにある。与二郎のいわゆる明治十五年以前の香がする。凡てが平穏である代りに凡てが寢坊気ている。尤も帰るに世話は入らない。戻ろうとすれば、すぐに戻れる。ただいざとならない以上は戻る気がしない。いわば立退場のようなものである。三四郎は脱ぎ棄た過去を、この立退場の中へ封じ込めた。なつかしい母さえ此処に葬ったかと思うと、急に勿体なくなる。そこで手紙が来た時だけは、暫くこの世界に低徊して旧歓を温める。(P.84)

 

  • 2つ目の世界

 2つ目は、外の世界と隔絶しながらも、学問の道を突き進めるという世界です。

 同じように以下の文にまとめられています。

 

第二の世界のうちには、苔の生えた煉瓦造りがある。片隅から片隅を見渡すと、向うの人の顔がよく分からないほどに広い閲覧室がある。梯子を掛けなければ、手の届きかねるまで高く積み重ねた書物がある。手摺レ、指の垢、で黒くなっている。金文字で光っている。羊皮、牛皮、二百年前の紙、それから凡ての上に積った塵がある。この塵は二、三十年かかって漸く積った貴い塵がある。静かな月日に打ち勝つほどの静かな塵である。

  第二の世界に動く人の影を見ると、大抵不精な髭を生やしている。あるものは空を見て歩いている。あるものは俯向いて歩いている。服装は必ず穢ない。生計はきっと貧乏である。そうして晏如としている。電車に取り巻かれながら、太平の空気を、通天に呼吸して憚らない。このなかに入るものは、現世を知らないから不幸で、火宅を逃れるから幸である。広田先生はこの内にいる。野々宮君もこの内にいる。三四郎はこの内の空気をほぼ解し得た所にいる。出れば出られる。しかし折角解し掛けた趣味を思い切って捨てるのも残念だ(P.84-85)

 

  • 3つ目の世界

 3つ目は、恋する女性が自分の目の前にいるという世界です。

 

 三四郎はこの世界の存在に気付いた時点で、美禰子という美しい女性と三四郎池を眺めていたとき、よし子の見舞いにいったときの計二回、すでに会っています。

 彼は、彼女にただならぬ気持ちを抱き始めているのです。

 

 この3つ目の世界については、

 1つ目と2つ目と同様に、作中の文にてまとめられています。

 

 第三の世界は燦として春の如く盪いている。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つ三鞭の盃がある。そうして凡ての上の冠として美しい女性がある。三四郎はその女性の一人に口を利いた。一人を二遍見た。この世界は鼻の先にある。ただ近づきがたい。近づきがたい点において、天外の稲妻と一般である。三四郎は遠くからこの世界を眺めて、不思議に思う。自分がこの世界のどこかへ這入らなければ、その世界のどこかに欠陥が出来るような気がする。自分はこの世界のどこかの主人公であるべき資格を有しているらしい。それにもかかわらず、円満の発達を冀うべきはずのこの世界がかえって自らを束縛して、自分が自由に出入すべき通路を塞いでいる。(P.85)

 

ここから、三四郎は一つの結論に至ります。

 

それは、「国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問に委ねるに越した事はない(P.85)」生活を理想として掲げようということです。

 

彼はこの時23歳。

もちろん、2019年現在の同年代とは話がすこし違いますが、実に今っぽい考えを示しています。

 

これを、やや無理矢理に現代的に解釈すると、

「実家との関係も大切し、愛する人のいる素敵な家庭を作り、粛々と働く」

 

こんな感じでしょうか。

 

確かに、この3つ全てが揃うこと、それどころか、

1つを獲得することでさえ困難な状況にいる人は多いかもしれません。

 

しかし、例えば大金が欲しい、社会的に名誉のあるような地位について成功したいなどといった、いわば即物的な考えがあまり流行らなくなった現代の人たちが目指すライフスタイルに似通う志向だと思います。

 

こうして、三四郎は上京したことで、この世の中には上記3つの世界があると判断し、

彼なりの目指す道を固め始めたのでした。

 

この姿は、人生のあらゆる場面で「上京」する人に、よく見られる姿と酷似しています。

 

 

 

・「女性」に翻弄される「男性」像あるいは「男性」を翻弄する「女性」像について

 

突然ですが、ここで三四郎をとりまく女性関係を見ていきたいと思います。

 

三四郎は、たびたび女性に翻弄されます。

一人目は、汽車の中で知り合った女性。

二人目は、里見美禰子。彼女は、先述の通り、三四郎が彼女の名を知る前に二度、三四郎に会っています。

三人目は、野々宮よし子。厳密に申し上げますと、はっきりと翻弄されているような描写はございませんが、

いかんせん三四郎が常に強烈に女性の存在を意識しているおかげで、よし子とのやりとり中にも、

細かな心の動きを三四郎は惜しげも無く見せてくれております。

 

さて、作中で主に焦点が当たるのは、二人目にあたる里見美禰子とのやりとりです。

物語中盤に差し掛かるころ、広田先生が家を引越し、三四郎・与次郎・広田先生、そして美禰子の四人で一箇所に集うシーンがあります。(第四章)

 

三四郎はこの広田先生の引越しの際に、広田先生に宿に下宿している与次郎から、あらかじめ掃除をしておいてくれとお願いをされます。

面倒くさそうにしつつも、きちんと友人の頼みをきく三四郎は掃除をしようと思いながらも、やはり面倒くさく、手持ち無沙汰にしていました。

そこで、美禰子がやってきます。

三四郎は初めてここで、美禰子の名前を訊くことになり、それ以降ことあるごとに美禰子のことが離れなくなります。

 

このイベントの後日、菊人形をみんなで見に行くというイベントが発生します。

わいわい楽しい会話をしながら道中をゆくみなみな。

しかし、段々進むにつれて、人が多くなっていき、ついに三四郎と美禰子の二人はみんなから、はぐれてしまいます。

 

ここで、自分たちのことを広田先生たちは探したでしょうね、と三四郎は美禰子に言います。

美禰子は気にしないで、と。

三四郎は何となくきまりが悪くなったので、そろそろ帰ろうかと言い、腰を上げかけましたが、

美禰子の自分を見る目線に気付き、ふたたび腰を下ろし、その瞬間、

「この女にはとても叶わないような気がどこかでした(P.129)」思いがこみ上げます。

「同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴う一種の屈辱をかすかに感じた(P.129)」直後、

「迷子」と一言、美禰子が漏らします。

 

ストレイシープ」と英訳されるこの言葉を初めて美禰子が漏らしたこの日以降、

三四郎は授業中に「stray sheep」と、書きまくったり、美禰子からのハガキに「迷える子」と書かれることに舞い上がったり、など、とにかく分かりやすい反応を呈しています。かわいい。

 

まだ、この段階では美禰子にその気があって三四郎にしかけているとはわかりかねませんが、私のようなすぐに調子に乗る人間は、同じような境遇になったとしたら、

まず間違いなく三四郎レベルのウキウキぶりを展開してみせるでしょう。

 

文芸雑誌にも掲載されるレベルの文章を書く友人与次郎の作品を読むと約束したかたわらで、そんなものそっちのけにしてハガキに夢中になってしまう三四郎

 

しかし、そうこうしている内に、三四郎は美禰子に囚われている自身に気づき、

自分を取り巻く状況そのものが忌々しくなってしまいます。

 

挙句、三四郎はあろうことか、自分を弄んでいるのではないかという猜疑心すら抱き始め、美禰子を恨むようになってしまうという……。

もはや、メンヘラに片足突っ込んでいるんじゃないかという。

 

心の平安を取り戻すために、彼は広田先生の家へ行こうとするが、

やはり彼は、野々宮さんと美禰子の関係が気になって仕方がない。

 

三四郎は、二人の共通の知人である広田先生を揺さぶって、二人の関係を訊こうとします。

(この箇所については、次の項にてお話しします。)

 

この、文字どおり「夢中」になってしまっている描写から、完全に惚れた状態にあることがわかります。

 

また、これから、ことあるごとに三四郎は美禰子に翻弄されていくわけですが、

「迷子」になった三四郎の行方はまた、後述いたします。

 

 

 

漱石が望んでいた「他人本位」の社会

 

さて、作中で「自我」と「他人本位」について語られる印象的なシーンが出てきます。

先の項の続きですね。

 

第七章、三四郎が広田先生を訪ねるシーンにて、

美禰子と野々宮さんの関係について三四郎が問い正そうと探りを入れる箇所です。

 

そのシーンは、広田先生の口によって登場します。

  

 「(引用者略)近頃の青年は我々時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない。われわれの書生をしている頃には、する事為す事一として他を離れた事はなかった。凡てが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものが悉く偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展し過てしまった。昔しの偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。(引用者略)」(P.169)

 

え、マジで現代っぽくないですか? と思わず読んでいて漏れそうになりました。

 

漱石が生きた明治維新後の世界は、言わば、ずっと和室で生活をしていた人たちが、

急に洋室へ変更「させられる」のみならず、なぜその必要があるのかさえ、ろくに教えてもらえなかった世界です。

 

「させられる」行為は、自ずと疑問が湧き、なぜ「このような行為」をしているのか、と言う問いが繰り返され、その方向は「自分が」という主語に向けられます。

 

ただ、近代と現代はやはり別物であるなあという感も正直、あります。

 

ここで広田先生の述べる「偽善家」はまるで、「自我」というものが弱いかのような存在ですが、現代における人々の多くは、「自我」の強い「偽善家」が多い印象です。

 

あくまで、行為は善意によるものも多いでしょうが、

「我意識」が肥大化したことにより、「善く」思われたい気持ちが醸成され、

自ずと「偽善家」になるというケースです。

 

「露悪家」はいわゆる不良文化の系譜で語れそうですが、

現代は、もはや表層的な不良=ダサいものという感覚が、多くの人たちに共有されており、

「露悪家」の仮面ではなく、「善」の仮面をつけた「我意識」の強い人たちで構成された時代だと言える気がします。

個人的には不良文化、素敵だと思いますが。

 

いずれにせよ、現代にまで通じる「我意識」というものが、

この作中の時代に造り上げられたものであることは疑いようがないでしょう。

 

西洋の概念が輸入されてきたことで、

「主語=私」と強調される「言語」を人々は使用し始めたからです。

 

 

 

・「偽善」と「露悪」の問題

 

また同じく第七章、三四郎が広田先生を訪ねるシーンにて、

更に深く「偽善」と「露悪」について語られる箇所が出てきます。

 

広田先生は、三四郎や与二郎のような(作中においての)現代の青年は往々にして、露悪家だと言います。

こと、与二郎はその最たるものだと言っています。

 

一方で、自分たちの時代の人間は偽善家だと言います。

どういうことか、と三四郎が問いただしたところ、広田先生は印象的な言葉を残します。

しばらく、引用が続きますが、ご容赦くださいませ。

   

「君、人から親切にされて愉快ですか」

「ええ、まあ愉快です」

「きっと? 僕はそうではない、大変親切にされて不愉快な事がある」

「どんな場合ですか」

「形式だけは理に適っている。しかし親切自身が目的でない場合」

「そんな場合があるでしょうか」

「君、元日に御目出とうといわれて、実際御目出たい気がしますか」

「そりゃ……」

「しないだろう。それと同じく腹を抱えて笑うだの、転げかえって笑うだのという奴に、一人だって実際笑ってる奴はない。親切もその通り。御役目に親切をしてくれるのがいる。僕が学校で教師をしているようなものでね。実際の目的は衣食住にあるんだから、生徒から見たら定めて不愉快だろう。これに反して与二郎の如きは露悪党の領袖だけに、度々僕に迷惑を掛けて、始末におえぬいたずらものだが、悪気がない。可愛らしい所がある。丁度亜米利加人の金銭に対して露骨なのと一般だ。それ自身が目的である。それ自身が目的である行為ほど正直なものはなくって、正直ほど厭味のないものはないんだから、万事正直に出られないような我々時代の小六(こむ)ずかしい教育を受けたものはみんな気障だ」(P.171-172)

   

「うん、まだある。この二十世紀になってから、妙なのが流行る。利他本位の内容を利己本位で充たすという六ずかしい遣口なんだが、君そんな人に出逢ったですか」

「どんなのです」

「外(ほか)の言葉でいうと、偽善を行うに露悪を以てする。まだ分からないだろうな。ちと説明し方が悪いようだ。──昔の偽善家はね、何でも人に善く思われたいが先に立つんでしょう。ところがその反対で、人の感触を害するために、わざわざ偽善をやる。横から見ても縦から見ても、相手には偽善としか思われないように仕向けて行く。相手は無論厭な心持がする。そこで本人の目的は達せられる。偽善を偽善そのままで先方に通用させようとする正直な所が露悪家の特色で、しかも表面上の行為言語はあくまでも善に違ないから、──そら、二位一体というような事になる。この方法を巧妙に用いるものが近来大分殖えて来たようだ。極めて神経の鋭敏になった文明人種が、尤も優美に露悪家になろうとすると、これが一番好い方法になる。血を出さなければ人が殺せないというのは随分野蛮な話だからな君、段々流行らなくなる」(P.172-173)

  

ここで面白いのが、

「それ自身が目的である行為ほど正直なものはなくって、正直ほど厭味のないものはないんだから、万事正直に出られないような我々時代の小六(こむ)ずかしい教育を受けたものはみんな気障だ」

という言葉です。

 

上記に挙げた言葉と、二つ目に引用した文章を照合いたしますと、

与二郎の世代の青年たちはみな、目的と行為が一本繋がりになっているという点と、

それが故に、人に悪印象をもたらすためにあえて、偽善を行うという点です。

 

与二郎たち、彼らのような「上京」化したものたちは、

感情に忠実な行為(正直な行為)を行うことが一般化され、

相手に良かれと思い親切な行動をとること自体が、相手を不愉快にさせるということです。

 

そろそろ平成も終わりを迎える現在の感覚だと、どうなのでしょうか。

 

確かに、正直な方は少なくないですし、

正直な言動をとる人は、ちょっと一目を置かれるようなきらいがあるように思います。

 

さすがに、度が過ぎて正直、特に他の人に対して悪意を含んだげ言動を取る方は、

敬遠されるでしょうが……。

 

ただ、偽善行為をすることが、そのまま相手を不愉快にさせるとは思えません。

あからさまな偽善は煙たがられますが、基本的に最終的な行為が、「その状況にとって善いこと」であれば、むしろ歓待されると思います。

 

「やらない善より、やる偽善」という言葉がある通り、

現代では、与二郎たちの偽善との受容のされ方が、少々異なるようにも見えますね。

 

しかし、やはり漱石先生でして、

「それ自身が目的である行為ほど正直」なのは普遍な事象でしょう。

 

そして、それを「可愛らし」く思われる振る舞いをさらっと行えてしまうのが、

作中現在の青年の姿なのでしょう。

 

三四郎はまたここで「上京」経験を積みました。

与二郎、恐るべしですね。

 

 

 

・人間関係における「借金」について

 

文学作品、こと日本のそれには度々、借金をモチーフとした作品が出てきます。

それこそ、本作の次作『それから』でも、「金を借りる」ということは大事なモチーフとして扱われておりますし、

有名どころですと、漱石門下の内田百間や、借金の大家である太宰治の諸作品などでも借金はメインテーマです。

 

で、この作品にもこの借金というものが上手に用いられています。

三四郎は与二郎の借金の責任を肩代わりをし、美禰子から借りることになります。

三四郎は真面目な人間なので、美禰子に会いにいくたびにお金を返そうとします。

 

しかし、途中で三四郎は思います。

この借金があることで美禰子に会う口実が出来る、と。

逆に、返すともう会えなくなるのではないか、と。

 

 三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいものを代表している。──と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思い切って、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、一層近付いて来るか、──普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。(P.240)

 

こうして何度か、返そうか返すまいかとあぐねていた三四郎でしたが、

画工の原口のもとでモデルをしていた美禰子に会ったさい、ついに渡そうとします。

動機は、──どうでしょう。特に明言はされておりません。

 

しかし、三四郎はここでもう美禰子に思い切って、返済することで、

想いを断とうとしたのではないかと思えてなりません。

 

あぐねてあぐねて、思い切る。もう、届かない女性なのではないか。

モデルをしている横で、ただぼうっと立つのもバツが悪い。ならば、と。

 

しかし、美禰子は突っぱねます。

モデルとして座ってポージングをしている美禰子の前で、

立ったまま三四郎はお金を渡そうとしますが、美禰子は受け取らないのです。

  

「この間の金です」

「今下すっても仕方がないわ」

 女は下から見上げたままである。手も出さない。身体も動かさない。顔も元の所に落ち付けている。(P.240)

  

この強固な態度で突っぱねられたら、私だったらまあめげます。

いや、めげると言うか、「えぇ…なんかきまりが悪いんですけど。なにこの空気…マジで逃げたい」みたいになると思います。

けれども、ちょうど画工原口が、二人に違う話を振ってくれたおかげで一応空気は何とかなります。

 

しかし、ここで不燃焼になった三四郎は、やはり想いを告げずにはいられません。

画工原口が筆を置き、お茶でも飲もうと二人を誘ったとき、美禰子は帰ると言い出します。

 

そこで、三四郎もここぞとばかりに一緒に帰ろうとします。頑張れ!!

三四郎のこの時の頑張りは上記の流れに続く文にて、こう表現されています。

 

 日本の社会状態で、こういう機会を、随意に造る事は、三四郎に取って困難である。三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。(P.245)

 

閑静な道を歩いて帰ろうや、と美禰子を誘っても乗らない。ヤバい。

しかし、三四郎の心は煮えくらない。もうそろそろで爆発してしまいそうである。

 

何となく気まずい空気が流れる中で、美禰子は三四郎に、原口に用事があって来たのかと訊きます。否。

では、遊びに来たのか、と美禰子。否。

じゃあ、何で来たの、と再び美禰子。

 

三四郎はこの瞬間を捕えた。

「あなたに会いに行ったんです」(P.246)

  

キター!(死後) ついにぶちまけました。

やってやりましたよ、三四郎くん。あんた、漢やでえ!

 

しかし、「三四郎はこれでいえるだけの事を悉くいったつもりである(P.247)」が、

美禰子は「御金は、あすこじゃ頂けないのよ(P.247)」と、醒めた反応をするのみでした。

 

え、ヤベえ。俺、ヤバくない? と、普通ならなるでしょう。

けれども、一度火がついた男、三四郎はこんなものじゃありません。

一度、バーに弾かれたボールを再びゴールへ叩き込もうとします。

 

「本当は金を返しに行ったのじゃありません」

美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かにいった。

「御金は私も要りません。持っていらっしゃい」

三四郎は堪えられなくなった。急に、

「ただ、あなたに会いにたいから行ったのです」といって、横に女の顔を覗き込んだ。(P.247)

 

やりました。やりましたよこの男。素晴らしいですね、三ちゃん。

不器用で、気の利いた話などろくにできない三四郎でしたが、

勇気をもって、純粋に自分の想いを言葉に乗せて、相手に伝えた瞬間です。

ちょっとこれはマジでかっこいいです。

 

しかしまた、美禰子はこれも躱すような、いや、まるで底の見えない沼に言葉を受け止めたというより、言葉を落としてしまったかのような反応を三四郎に呈します。

 

女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口を洩れた微かな溜息が聞えた。

「御金は……」

「金なんぞ……」

二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。(P.249)

 

そして、物語の終盤。

教会から出てくる美禰子を待ち受けていた三四郎は、彼女にお金を返します。

 

という、あらすじを追った文はいいのですが、

やはりここでの「借金」の持つ働きはどのようなものなのでしょう。

 

我々をとりまく人間関係には、往々にして「借り」というものがあります。

いわば、一方が、もう一方を助けたことで生じるもの。

あるいは、物質的に何かを与えたことが、受け手によっては、「借りた」と感じることもあるかも知れません。

 

つまり、複数以上の人間関係上に生じる、目に見えない「信頼のボール」が、

この作品では「借金」として描かれているのではないでしょうか。

 

広田先生→与二郎→三四郎→美禰子と連綿に繋がるこの信頼のボールは、

実際の「お金の価値」などではなく、登場人物同士ないし、

人間同士の「信頼の価値」の移りを示しているのだと思えてなりません。

 

この「信頼の価値」を作中では借金というものに与え、

蠢く人間模様の中に投射させ、巧みに物語に絡めているのが特徴と言えるでしょう。

 

 

 

・佐々木与二郎の存在感

 

閑話休題です。

三四郎の学友として、物語の至るところで存在感を発揮する人物、

佐々木与二郎くんについて少しだけお話をしようと思います。

 

彼はなんというか、言い方が少しあれですが、「カワイイやつ」なのです。

羨ましい、こんな感じの男になりたいと思ってなりません。

 

と言うのも、人のお金を代替わりしたくせに、そのお金を馬券で溶かすどうしようもない面もありながら、

精養軒の会(広田先生や画工の方が集まるちょっとしたハイソな会)では、年長者に対して物怖じせずに、世渡り上手といったようなコミュニケーションをしっかりと取りつつ、

言葉少ない三四郎にもきちんと話を振るという気配りの出来よう。 

 

また、自分の師匠である広田先生を大いに称賛し、先生の仕事を評する文を機関紙に寄稿するという真っ直ぐさも持ち合わせつつ、三四郎が美禰子を好いているということを見破る洞察力をも持ち合わせている…。

 

個人的に一番グッと来たのは、終盤に見せる、実は気遣いもできるという一面です。

 

三四郎は観劇をした翌日、高熱を発します。

床についていた彼のもとに与二郎が見舞いに来てくれ、その場で美禰子の近況について訊いてきた三四郎に対し、

なぜあんな女がいいのかと畳み掛けます。

 

しかし、それは三四郎の審美眼を攻めたものではなく、まして本心から美禰子本人を悪く言っているわけではありません。

あくまで、自分自身の女性との過去の話を面白おかしく三四郎に語ることの前フリに過ぎず、

その裏には三四郎を元気付けようというユーモアと優しさが滲み出ているのです。

 

与二郎の話を聞いているうちに三四郎は、美禰子のことを追及するのもバカバカしくなり、ついに笑い出します。

作中で三四郎が笑うのはかなり珍しいのではないでしょうか。

 

こういう場面で親身に聞いてくれる友人も最高ですが、

自虐ネタをしてくれて笑顔をもたらす友人も最高だなあと、思います。

 

なお、この看病のシーンの後、与二郎は三四郎に内緒で医者を三四郎の元へ遣らせています。

マジでイケメン。

 

…という、本当にいろんな面を持ち、実に「モテる」やつだと、僕なんかは勝手に思ってしまっております。

現に作中にて、露悪をしつつも、その態度に嫌味がないから奴は可愛げがある、と広田先生は与二郎を評しております。

 

単純に、「いい奴」ではなく、時には豪放磊落、時には紳士的、といういわゆる「都会っ子」な顔が彼にはあるのでしょう。

 

先述しました「偽善」と「露悪」の中にもありますが、彼には露悪家が一見目立ちますが、その「悪態の仮面」の裏には、真意の悪など存在せず、純粋に自分に対して正直なだけなのでしょう。

 

自分に正直でいるということはなかなか出来ないかと思いますが、そのようになかなか出来ないという人が多いからこそ、彼の魅力がひときわ輝くのではないかと思います。

 

余談ですが、学生時代の先生が、講義の中でキャラクター論について面白いことを仰っていたのを思い出します。

ドストエフスキーの作り出す物語は、なぜ重厚なテーマを扱いつつ、あんなに面白く読めるのか。それは、キャラクターがきちんと色分けされているからだ」と。

登場人物に濃い像を与えると、それだけで彼らが勝手に物語にドライブをかけてくれるのでしょう。

 

 

 

・「上京小説」の泰斗

 

以上、つらつらと拙い考察を続けて参りましたが、

冒頭で申し上げました通り、『三四郎』は「上京小説」と言える要素がてんこ盛りな作品だと考えております。

 

まとめますと、ポイントは以下の通りです。

 

 1.福岡の田舎からの「上京」

 2.都会的社会に潜ることで見えた3つの世界を知るという「上京」

 3.「偽善」が蔓延していた過去から、「露悪」を呈する現代観を悟るという「上京」

 4,社会の欧米化する状況の「上京」

 

いささか、無理矢理ではございますが、

考察して参りましたポイントを考えますと、これだけ多くの「上京」と言えるだろう状況が、この作品には詰まっているのであります。

 

「余裕派(高踏派)」の漱石作品の中でも珍しく実直で戸惑いながらも、

もがき続けようとする青年を描く作品でありながら、

その実、人間における「上京」というものを日常という色を使いながら描き抜いた作品だと言えます。

 

そして、その「上京」に直面しているということ自体を三四郎がどこか「余裕」をもって見つめている、というのもこの小説の特色なのかもしれません。

 

ただ混乱しているわけではなく、どこか俯瞰的。

やっぱり、いわゆる漱石らしさというものがこの作品にも多分に含まれているのでしょう。

 

読むタイミングが限られているように見えて、

意外と、どんなタイミングで読んでも新鮮な気付きが得られる作品ではないでしょうか。

 

後世に残る素敵な作品というものは、往々にしてそのような特徴がある、と思ってなりません。

 

それでは、また。

本を読み、書くということ、そして生活雑感

こんにちは、初めまして。

 

早速ですが初投稿ということで、

なぜこのブログを書くのか、

また、何をテーマにブログを書くのかということを

簡単に記そうと思います。

 

このタイトルにもある通り、

 

・「本を読む」ということについて

 (読書日記みたいなのも含めます)

・生活を通じて感じた・考えたこと

 

以上の二点をこのブログでは書きたいなあと思っています。

 

私は昔から本を読むことが好きで、

学生時代も文学部に進学し、卒業後もその道に進みたいなあと思ってました。

 

けれど、文学や小説の世界、ひいては、

この世に存在する虚構、現実の真理(自然科学や哲学など)を突き詰めて考えたところ、

社会というものを経験した上で改めて、

文学またはその他の分野に対峙したいなという考えに至りました。

 

語彙が少ないため、少々荒い言い方になってしまいますが、

あれっ、象牙の塔で見える世界って実は狭いんじゃね?

と思い立ったからです。

 

私の学生時代の恩師は、

「幸も不幸も、文学は在野で研究することができる学問だ」という旨を仰っていました。

 

これは別に文学を軽視しているわけではなく、むしろ反対の意味で捉えるべきでしょう。

どんな場合においても、文学は人を感じさせ、考えさせ、通り道を歩かせながらも、

あらゆる進路を提示してくれるものだ、と。 

 

研究って言うと、文献にあたって考証して…となんか堅い印象がありますが、

私がその時、そして今後もしたいのは、あくまで文学を通じて、人間っておもしれえな〜と感動するとか、しんどい時とかに語りかけて欲しい文を探りてえな〜とかそんなニュアンスです。

 

もちろん、文体や時代考証から読みほどいて自分なりに味わうことも醍醐味です。

ただ、究極は作品を一読して、作品の持つ記憶を辿ることで、その瞬間に書かれた人間や自然の息吹を現在にて感じたいということに至りますね。

 

ちょっと、話が逸れますが、

2016年に荒木優太さんという在野研究者の方が、

『これからのエリック・ホッファーのために』という大変優れた著作を、

上梓されました。

 

この本が世に出る直前まで、私はちょうど営業マンをやっており、

日々の業務に忙殺され、とてもじゃないけれど読書ログを残すなんてことはできない、

と追い込まれていた状況でした。

 

正直言って、「俺以外全員敵、ぶっ○す」位のヤバい気持ちと、

いわゆる「ぼんやりとした不安」の二極のみで生きていた実に危ない情緒不安定な時期でした。

 

そんな時に、何かこうカチッとハマるような養分をくれるもんはなかろうか……!

と、藁にもすがる思いで、週末の神保町をゾンビのように徘徊していた折に出会ったのがこの本でした。

 

この本を読んでハッとさせられたことが三点ありました。

 

まず一つは、

 

・飽くなき探究心があれば歳など関係なく、道を拓くことができる

 

ということです。

 

また、二つ目は、

 

・本を読むということは、新たな世界を知ることと同時に、新たな自分を発見できる、

 または、自覚していた自分を確認することができる

 

そして、三つ目は、

 

・読書をしてインプットするだけではなく、このように文字に起こすことで、

 解釈の度合いが深まる

 

ということでした。

必ずしも、上記三点を直接的に書かれたわけではなく、私的解釈なので悪しからずです。

 

とにかく、とてもよいタイミングに出会えたと思っております。

分け入っても分け入っても黒い闇、な状況に射す光明と言っても言い過ぎではなく。

 

特に二つ目は、ある程度読書の習慣がある方なら既知だろう事柄ですが、

今現在の自分の世界の見方・世界からの見られ方を読書という事と関連させて改めて考えると、その「当たり前なんだけれど、立ち位置を推察できるということは大事だよね」ってことに気付かされます。

 

この読書体験から、また本のことが好きになりましたね。まことに、ありがたや。

 

で、そういった大切なことに気付いたものの、

それから読書ログをこのようなブログという形で残したのかと言うとそうではなく、

iPhoneのメモ帳に読書メモというような短い文章で書き残しておりました。

 

では、荒木氏の著作に出会ってから、なぜこのタイミングでブログを開始しようと思ったのか

。きっかけは日記です。

 

ちょっと色々あって生活の場が変わった一昨年の暮れ頃から昨年春まで、

非常に短い期間を定めて継続して日記を残すことを試験的にしていました。

読書したものについてではなく、雑記に近いです。普通の日記ですね。

 

ふと、怖いもの見たさで、今朝その日記を読んだのですが、

まあ端的に言って消えたくなりましたね。

 

と言うのも、まあ恥ずかしいのなんの。

書かれた内容や文体によって、もちろん恥ずかしさに悶えたり、日々の自身の行いの拙さに打ちひしがれたり、垣間見える卑屈さにイラついたり、などなど一般的にネガティブと言われる感情の波が溢れんばかりにゾゾゾ…ッと。

コーヒーを飲みながら、何故かドヤ顔キメて読み始めたんですけど、2分くらいでマグカップが空になりましたし、顔は多分引きつってたと思います。

 

が、一方で「その時」に「そのように」感じて・考えて・行動した自分が

いたのは間違いなく、どこか矜持や郷愁に近い感情を抱いたのも確かでした。

 

ネガティブの波ちゃんたちは自己を客観的に眺めることが出来たがゆえに、引き起こったのではないか。

よく飲み会の帰り道や、翌日なんかに一人反省会をして、くわああああ!なんであんなことを言ってしまったのだよお!俺の阿呆がああ!ってなるあれも同じ理由かもですね。

 

ひいては、日記は書くときではなく、書いて、それを読むときに初めて自己を発見できるのでは、とすら思いました。

 

この行為を通じて「書く」ということの面白さ、または、「書く」ということが、自身の考えにメスを入れ、また縫合するというような行為に近いということを確認することができました。

 

まとまりがなく恐縮ですけれど、

とにかくそういう理由で始めることにしました。

 

なお、この記事でも余すことなく露見していますが、

私の文章力の拙さが半端ではないので、

読み苦しいことも多々ございましょうが、

何卒、ご容赦下さいますと幸いでございます。

 

ということで、これから拙文をよろしくどうぞでございます。